米グーグルは突然4月1日午前零時に傘下の動画共有サイト「ユーチューブ」を閉鎖すると発表した。
グーグルは3分半の動画をユーチューブに投稿。その中で、サイト閉鎖後に、これまで投稿された動画15万本の中から最も優れた作品を選出する作業を今後10年かけて行うと説明。
さらにユーチューブでは2023年に最優秀作品のみが視聴できる状態で再開され、受賞者には奨励金500ドル(約4万7000円)とクリップオンMP3プレーヤーが与えられるとしている。
このニュースを見て非常に驚いた。しかしすぐにエイプリルフールのジョークであると気づく(というかニュースでもエイプリルフールであることが記載されていた)。
外国企業はこのようなジョークが好きだなぁとつくづく感じた。以前は英BBCの「ビッグ・ベンのデジタル化、およびそれによる時計針のプレゼント」(1980年、2008年)などがあった。
日本ではまずありえない。と同時に笑いのセンスも違いがあるのであろうと思った。
元をたどれば、エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。欧米ではこのような人をビックリさせたり皮肉ったりするのが好きなのだろう。
一方日本では落語に代表されるような、ほのぼのとした笑いを好む。
それぞれの国で笑いの質等のが違うことが分かる。
たとえば「トムとジェリー」の笑いと「サザエさん」の笑いは大きく異なる。「トムとジェリー」は弱者であるネズミが強者であるネコをやっつけることに笑いを誘う。一方「サザエさん」ではどの過程でも起こりうるほのぼのとした笑いを表現している。
そう考えると、笑いにはジョーク系の笑いと、ストーリー系の笑いがあるように思える。
ジョーク系は漫談、漫才などギャグの笑い。
ストーリー系の笑いは、こんな出来事があってこんな人がこんな失敗をしたという、例えば人の失敗談など。ストーリーがある笑いである。人間そのものの持つ可笑しさ、面白味である。
落語は当然こちらの笑いになる。落語は人間の本質を題材に笑いを招く芸で、落語の舞台は普通の人々の普通の日常生活。落語の中に出てくる登場人物たちは世界中どこにでも身近にいるような人たちばかりである。
ある落語家は「日本の笑いが世界中に広がれば世界は平和になる」といっていた。
それはほのぼのとして、そういえばウチでもそんなことがあるよなと人々の共感を誘う笑いである。
そういう意味ではエイプリルフールという習慣は日本にはあまりそぐわないのかも知れない。
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