ブルースリーが切り開いたカンフー映画。そのブルースリーが急逝して後継者が長い間待たれた。そしてジャッキーチェンが現れた。
しかしそのスタイルはブルースリーとは大きく違っていた。殺気を前面に出しワザを繰り出すブルースリーに対して、ジャッキーのそれは時にはダンスのように時にはコミカルに繰り出していった。それはブルースリーのベースが格闘家であったのに対して、ジャッキーが京劇出身のスタントマンがベースとしてあったのがあると思われる。
ブルースリーがカンフーアクションに重きを置いたのに対して、ジャッキーは常にスタントに重きを置いた。CG全盛期の現在、時には大けがをして生死が危ぶまれることさえ合った。
「ポリス・ストーリー香港国際警察」では電飾ポールをすべり落ちるシーンで、第七・八脊椎の骨折により半身不随寸前の骨盤の脱臼を負い、「サンダーアーム龍兄虎弟」では木から木へ飛び移るシーンで落下し頭蓋骨を骨折、頭にプラスチックを埋め込む怪我を負った。
リーは初監督作品「最後のブルース・リー/ドラゴンへの道」(1972年作品)で、ローマのコロシアムを舞台にチャック・ノリスと互いに秘術を尽くして闘う“パンクラチオン・ファイト”を披露するなど、その主演作群において自らが創造した武道である截拳道(ジークンドー)を常に全面に押し出す事で、自身が武道家である事を観客に対して強くアピールしていた。
逆に、ジャッキーはそのコミカルかつ俊敏なアクションと共に、中国武術を銀幕上で様々な形で披露する技術に秀でていながらも、その映画人としてのスタンスはあくまでも“アクション俳優”であった。私たちはこれまでこの武打星としてスタンス&スタイルの異なる2人の偉大なドラゴンたちの主演作品を観続ける事で、香港クンフー映画というジャンルの持つ多種多様な魅力をより深く理解し、また愛し続ける事が出来たのである。
ブルース・リーを香港映画が世界マーケットへと進出する扉を開いた功労者にして“真正の武道家”とするならば、ジャッキー・チェンは香港映画の魅力を世界中のファンに知らしめた伝道師であり、永遠の“アクション・ガイ”なのだ。そして私たちは、今回この2人の伝説的なドラゴンが残してくれた数々の主演作品を感謝を持って受け取る必要があると痛感する。
そのジャッキーチェンが「ライジング・ドラゴン」をもってアクションスターから引退する。
「これ以上、映画を撮ってももう面白くないと思ったからです」
その理由について、ジャッキーは気持ちいいほどキッパリと答えた。10代から武芸に精力を注ぎ、スタントマンとして地道にキャリアを重ね、やっとの思いで手にしたはずのスーパースターの地位。だが、手放すことに本人はもはや何の未練もないようだった。
彼も59歳。年齢的にも確かに厳しいだろう。今後は「ベストキッド」のようなアクションはなくても彼のカンフーを見ることが出来るような役や演技を期待したい。
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