2013年4月4日木曜日

北野映画

現代日本を代表する映画監督に一人に北野武を挙げることに異を唱える人は少ないであろう。
ヴェネツィア国際映画祭で第54回ヴェネツィア金獅子賞と第60回ヴェネツィア国際映画祭監督賞(銀獅子賞)を受賞しており、北野映画は新作が発表される毎に注目を集める。

自分の中の北野映画は、非常にマニアックな印象を受ける。一般的にいっても非常にクセのある映画と感じている人も多いと思う。

北野映画の特徴はその暴力性である。批評が別れる北野映画の暴力の描写であるが、「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」と考えているのではないだろうか。

たとえば戦争映画を例に取った場合、感動的な戦争映画も多数あるが、結局戦争とは人殺しの場である。それをリアルに表現したのが映画「プライベートライアン」の冒頭シーンでスピルバーグが描いたノルマンディ上陸作戦の場面であり、スピルバーグが描いたリアリティはその「皆が目を背けたがるが厳然として存在し、目を背けることができない」ものであろう。

自然界で動物たちは弱肉強食の世界に生きている。それは即ち弱いものは強いものの糧となる世界だ。それを誰も非難しないし当然のことと受け止めている。
人間も生物の一部なのだから、自然界の動物が当然持っている暴力性を持っているはずだ。しかしそれを真正面から向き合うことを人はしたがらない。北野はそれを厳然たる事実だ受け止めて表現しているのだろう。
「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」ということを説明するとするとそうなるのかも知れない。そして、「生きてくってそういうことなんだよ」と北野は言っている気がする。
人間は大なり小なりの暴力の上に成り立っている部分があり、それを無視して人間を描くことが北野武には出来なかったと思う。

しかし「暴力」と「人間の美しさ」という相反する事象を北野は見事に調和させ描き出している。それを引き出すのが「キタノブルー」と呼ばれる独特の青。
「キタノブルー」は北野映画のビジュアル面での大きな特徴である。画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるということもあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれ、ヨーロッパで高い評価を得た。これは突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったというが、近年『Dolls』以降はキタノブルーの傾向は薄れているようだ。

どちらのしてもキューブリックがそうであったように、北野武の映画は誰が観てもすぐに北野映画であるということが分かる。そういう意味でも素晴らしい映画人であることは間違いない。



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