2013年5月28日火曜日

カンヌ国際映画祭

フランスで開催されていたカンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督・脚本の「そして父になる」が審査員賞を受賞した。
コンペ部門は、米アカデミー賞を受賞したコーエン兄弟、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した中国のジャ・ジャンクーら実績抜群の監督作品が多数を占めたが、その中での是枝作品の受賞は実力のほどをあらためて知らしめたといえる。是枝監督は04年の同映画祭に出品した「誰も知らない」で、当時14歳だった柳楽優弥に史上最年少で日本人初の男優賞をもたらした。今回は自信が栄誉に浴した。
社会問題を家族に絡ませるのはカンヌの一つの傾向だが、赤ん坊の取り違えを題材に二つの家族がもつれる姿を描いた是枝作品は、その流れに合っていたともいえるかもしれない。

世界三大映画祭は国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の3つを指す。

映画祭というとアカデミー賞が有名だが、アカデミー賞は基本的にアメリカ映画を対象とした映画賞であり、作品の選考対象も「1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品」と比較的狭義である(ノミネート条件はこの他にも詳細が決まっている)。
しかし、その知名度と権威は国際映画祭の各賞以上にマーケットへの影響力は大きく、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与える。このため「映画界最高の栄誉」と評されることが多い。
しかしアカデミー賞はハリウッドの映画関係者が選考を行うことから、各賞の選出についてはアメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれない。例えばカンヌ国際映画祭などの著名な国際映画祭で大賞を受賞した作品が、アカデミー賞ではノミネートもされないことが多いのは有名である。また、「英語以外の外国語映画には作品賞を与えない」とか「死者には賞は与えない」といったアカデミー賞独特の不文律などもあると言われている。

よって中にはアカデミー賞よりも三大映画祭の結果を重要と説く映画評論家もいる。「そして父になる」は日本映画のため、アカデミー賞作品賞にはノミネートされないから、そう言う意味でも今回の受賞は素晴らしい結果だと感じた。

2013年5月24日金曜日

コンペ

ニュースで初めて知ったが、AKB48の作曲はコンペ方式で作ってるらしい(作詞はもちろん秋元康)。

コンペとは一定の条件等に基づいて公開、非公開で行われ、複数の審査員により採点される。コンペティション【competition】の略で和製英語。競争、競技、競技会とも訳される。

AKBの曲を作っているのはある程度有名な作曲者だと思っていたので驚いた。まあ確かにコンペ方式だと、今までの実績など関係なく単純に曲の出来不出来によって決まるため、無名の作曲者にとっては大きな機会になる。幅広い門戸が広がっているということだ。
しかしそのために作詞家であり総合プロデューサーの秋元康は1曲決めるため1000曲以上の候補を聞くらしい。

一部にはコンペ方式では、アーティストをはじめ職業的な作曲家や作詞家を育てないのではないかとか、かつてのような練りに練られた名曲が誕生しにくい環境にあるのではないか、など批判的な意見もあるらしい。

色んな意見はあるにせよ、新しい方式にはメリットもありデメリットもあるのは当然。最も重要なのは選択肢が増えるということ。今までのやり方と新しいコンペ方式のどちらを選ぶかはその時に選べば良い。

このようにコンペ方式が普及してきている背景には、DTM(ディスクトップミュージック)の影響も大きいだろう。高機能の機材が一般の人にも入手しやすくなってきたということだ。それによってアマチュアでも自分一人でかなりレベルの高いデモ曲が作れる。作品のクオリティは違うにしても、録音技術に関してはプロもアマも無いのが現状だ。
そう考えると、自信がある作品が出来たらそれを誰かに評価してもらいたいと考えるのが普通だろうし、それがもしAKBの楽曲として採用してもらえたらどれだけの喜びになるか。

どちらにしても、曲作りの分野においても様々な進歩があることは大切なことであるし20年前と全く変わらない方法しかないということであれば、それが問題なのかも知れない。

2013年5月14日火曜日

昆虫食

国連食糧農業機関(FAO)は13日、世界の食糧問題に対処するために昆虫類の活用を勧める報告書を発表した。食用として栄養価が高いほか環境に優しい家畜飼料用などとしてなどと更なる可能性を秘めているとしている。
報告書によると、世界では少なくとも20億人が甲虫やハチ、バッタなど約1900種類の昆虫を伝統食としている。鉄分などの栄養が牛肉より豊富なものがあり、採集や飼育を産業化すれば雇用や収入を生み出す可能性もある。
また家畜の飼料に昆虫を活用することで、飼料用の魚類をヒトの消費に回すこともできると指摘。昆虫は飼育に際し、メタンなど温暖化ガスをほとんど出さないため、環境破壊にもつながらないとしている。

なるほどね~。確かに日本でも海に面していない地域特に山中の地域では蜂の子などをタンパク質として食しているところも多い。魚が捕れないところでは、タンパク質としては動物があるが、育てるのに時間がかかる。それに比較して昆虫では入手しやすく生育も早い。考えてみれば利点はたくさんあるな。

イギリスの食品安全管理局によるとバッタは20パーセントのタンパク質を含むのに対し脂肪分はたったの6パーセント。一方、牛肉に含まれるタンパク質は24パーセントだが脂肪分も18パーセントと高い。昆虫は高タンパク低脂肪の食物らしい。しかも昆虫の場合、家畜と比べ飼育の際に放出される温室効果ガスも圧倒的に少なく、飼料もそれほどかからない。まさに、栄養、コストパフォーマンス、環境対策と三拍子そろった願ってもないほどの生物資源と言える。

しかし大きな問題として、「虫嫌い」がある。近年は年齢性別に関わらず、虫嫌い人口が増加している。現代は大部分の人口が高気密住宅に住み、虫に触れる機会が少ないためと考えられている。このような人たちは昆虫を食することはできないだろう。

でもこれも考え方かも知れない。たとえば「牛タン」。好きな人は多いが、それは薄くスライスされた状態での話。店によっては、牛タンがそのままの状態(つまり牛の舌)が売られている。それをみて美味しそうと思うひとは少ないだろう。
これと同じように昆虫もそのままの形だから食するのは難しいだろうから、ミンチにするとか形が分からない状態で加工したのであれば食することはできるのではないだろうか。

まあ「虫」をヒトが食べることよりも、報告書にあるように家畜などの飼料に使って、余った分をヒトの食料に当てるというやり方がまずは実際的かも知れない。

これからは虫も食料として真剣に考える時代が来ていると感じた。そのうちにスーパーで肉・野菜・魚などと共に「虫」のコーナーが出来るかも知れない。ど~かな~。

2013年5月7日火曜日

国民栄誉賞

5日東京ドームで、長嶋茂雄氏及び松井秀喜氏に対する国民栄誉賞の表彰式が行われた。

長嶋茂雄氏は闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さにより、プロ野球史上に数々の輝かしい功績を残し、多くの国民から誰からも愛される野球界の「国民的スター」として、野球界の発展に極めて顕著な貢献をされるとともに、国民に深い感動と、社会に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由。
松井秀喜氏は、野球界において、ひたむきな努力と真摯なプレイにより、日米両国を舞台にした世界的な功績と、新たな足跡を残すとともに、日米両国の多くの国民から愛され、親しまれ、その数々の輝かしい活躍は、社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由となった。

国民栄誉賞は、昭和52年8月に創設されている。
1977年(昭和52年)、当時の内閣総理大臣・福田赳夫が、本塁打世界記録を達成したプロ野球選手・王貞治氏を称えるために創設したのが始まりである。背景には、先に設置されていた内閣総理大臣顕彰が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった。また王氏は叙勲には若過ぎたという事もあり、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが国民栄誉賞である。
その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」であり、かなり幅広い解釈が可能である。日本国籍は要件にない。また公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だという。

プロ野球界で受賞したのは2名。本塁打世界記録を達成した王貞治氏と、連続試合出場世界新記録を達成した衣笠祥雄氏。
前述の2名は記録を残したのに対して、長島・松井の両氏は記憶に残る選手として表彰されたことになる。そしてONが共に国民栄誉賞を受賞した。

国民栄誉賞授賞式に続く、始球式では長島氏は背番号「3」のユニホームを袖に通し、打席に立った。1974年10月14日の現役引退以来である。
ピッチャーは松井氏。キャッチャーは巨人原監督。審判の位置に背番号「96」のユニフォームを着た安倍総理大臣という布陣だった。

そして長嶋氏は“本気”だった。長島氏曰く、打席に立ったら闘志に火がついたらしい。ところが、松井氏が投じたボールは頭をかすめるような内角高め。左手で握られた長嶋氏のバットは空を切った。

長島氏は皆が知っているように、脳卒中で倒れ現在リハビリ中である(本人はトレーニングと呼んでいるらしい)。通常であれば、肉体と共に気力も衰えているはずである。それなのに打席に立った長島氏は闘志を燃やし、不自由な身体にもかかわらずボールを打ちにいった。なんという精神力なんだろう。
今回長島氏は受賞スピーチを行った。伝え聞いた話によると、長島氏の病状からしてあれだけの回復を見せたことはものすごいことらしい。彼のトレーニング(リハビリ)の過酷さが伺える。そしてそのことは同じ病状でリハビリに励む患者さん達の励みになっているらしい。これもまたスゴイことだ。

「燃える男」長嶋茂雄は、気力は現役と同じだったのだろう。現役時代に敬遠のボールを打ってヒットにしたこともある長島氏にとって、今回の松井氏のボールも彼にとっては打てないボールではなかったのかも知れない。改めて彼の偉大さを感じた瞬間であった。

しかし、通常空振りするはずの始球式のボールを、長島氏が打ちにきたのだからみんな驚いた。しかも後ろには何の防具も着けていない安倍首相。万が一にでもファールチップがそれて総理大臣に当たったら大変だ。最も肝が冷えたのはキャッチャー役の原監督だったにちがいない。

2013年5月6日月曜日

祭り

5日に東日本大震災の発生直後に断水するなか、地域住民の暮らしを支えた神社の湧き水に感謝する集いが、宮城県石巻市で開かれた。
石巻市の垂水明神社は、震災の津波で大きな被害を受けた渡波地区の内陸部にあり近くの住民は、水道が復旧するまでのおよそ1か月の間、神社の敷地内に湧き出る水で生活を続けた。5日は、この湧き水に感謝しようと住民およそ100人が集まって感謝の集いを開き、地元に伝わる伝統の獅子舞が奉納された。

この話を聞いたとき、祭りの原風景を見た気がした。多分各地に残る祭りの始まりは何処もこのような感じだったんだろう。
もともと、祭りの語源は、元々は神事において神様に仕え祀る(祭祀の意)や、神様に供え奉る(奉納の意)からくる「祀り」や「奉り」が変化したもので、本来の意味は神様と人との交流の場として神様をお招きして饗応(きょうおう)接待をすることであった。それがいつしか神様に豊作や豊漁・豊猟を祈願することに変わり、その祈願成就のお礼や感謝の気持ちを表わす形として祭りという行事が生れてきた。雨乞いをしたり、豊年を祈願したり、感謝したりなど自然への畏敬の念から始まっているのだろう。そして後世へ伝え続けなければならない事象が起こった際、「祭り」という手段をとる場合もあったに違いない。

今回は名前も無い集いだったが、毎年続いて「祭り」として成立し、その「祭り」を保存していって欲しいと願う。
これにより、東日本大震災を忘れることなく、また神社の湧き水の大切さを後年に伝えていって、将来もし同じような災害が起こった場合には役立ててもらいたい。
東北には過去の津波災害から生まれた教訓があちこちに残っている。今回のニュースを見て、また新しい伝承が生まれるのだろうと感じた。
自然災害は人間の力で発生を抑えることは難しい。祭りという形で自然を敬い自然と共存できることが出来ることを望みたい。

2013年5月2日木曜日

少年と原子

米IBMが1日、分子一つひとつを動かして作ったパラパラアニメーションを発表した。男の子がボール(原子)と戯れる様子を描いた約1分のストーリー。ギネスワールドレコーズ社が「世界最小のパラパラアニメ」と認定した。

研究チームは、銅板の上に一酸化炭素の分子を置き、絶対零度近くまで冷やして動きを止めた。そして走査トンネル顕微鏡(STM)と呼ばれる装置で少しずつ動かして、一コマずつ撮影。242コマをつないで「少年と原子」と題する作品を完成させた。一コマの実寸は10万分の4ミリほどしかない

ムービーの制作に使用された走査トンネル顕微鏡(STM)はIBMが開発した物質の表面の電子状態や構造を原子レベルで観測する顕微鏡。
この顕微鏡は1981年にIBM研究所で発明された。非常に鋭く尖った探針を導電性の物質の表面または表面上の吸着分子に近づけ、流れるトンネル電流から表面の原子レベルの電子状態、構造など観測する。また、針先の電圧で物質表面の原子をくっつけたりはじき飛ばしたりして原子を移動させる

1989年9月28日にIBM社の物理学者Don Eigler氏が個々の原子を操作、配置することに世界で初めて成功。その2カ月後には、35個のキセノン原子を配置して「IBM」の文字をつづることに成功した。この3文字をつづるのに約22時間を要したが、現在では同じ作業が約15分でできる。

原子で文字を書くことが出来るのは上記ニュースから知っていたが、まさかこの技術でアニメーションを作るとは思わなかった。その動画はネットでアップされているので観ることが出来るが、非常に出来が良く、原子で作れれていると言わなければ分からないレベルだ。
作品は原子で作られた「少年」と一個の「原子」が仲良くなり、楽しく遊ぶ様子が描かれている。少年と原子は、踊ったり、キャッチボールをしたり、トランポリンの上を跳ねたりする。描かれている「原子」は本物の原子であり、「少年」も原子から作られている。実際の人間ももちろん原子で構成されている。そう考えると非常に感慨深い。

このアニメーションは、大げさな言い方をすると先端科学と芸術の融合だ。基本的に科学と芸術は相容れない部分も多い。科学とは文明であり芸術は文化であるからだ。
一般の人間には作ることは非常に難しいこのアニメーションであるが、文明と文化が融合できることを端的に表した素晴らしい作品であると思う。