2013年4月30日火曜日

エージシュート

エージシュート(Age-Shooting)は、ゴルフの1ラウンド(18ホール)ストロークプレイを、自身の年齢以下の打数でホールアウトすること。

ゴルフ用語はいろいろ知っていたつもりだったが「エージシュート」というのがあるとは知らなかった。当然のことながら、30歳代や40歳代のプレーヤーがエージシュートを達成することは現実的には不可能である。可能性があるとすれば60代後半以後のシニア選手ということになる。
日本のツアー最少記録は石川遼が2010年の中日クラウンズでマークした58。即ち単純計算でエージシュートを達成するには最低でも58歳以上でなければならない。

そんな困難な記録を66歳の尾崎将司が前人未到の記録を打ち立てた。1イーグル、9バーディー、2ボギーのコースレコードタイとなる62で回り、年齢以下のスコアでラウンドする「エージシュート」を達成した。国内男子レギュラーツアーでのエージシュートは史上初の快挙。

世界最年少のエージシュート記録は、1975年にアメリカ人プロのボブ・ハミルトン(当時59歳)が達成した「59」。アメリカPGAツアーでは、1979年のクアッド・シティーズ・オープンで、サム・スニード(当時67歳)が達成した「67」が最年少である(この時スニードは、その翌日にも「66」をマークしている)。59歳でスコア59というのはすごいな。

厚生労働省によると2010年の日本人の平均寿命は男性79.55歳、女性86.30歳である一方、健康寿命、即ち自立した生活ができる期間は平均で男性が70.42歳、女性が73.62歳となっている。
人は年齢と共に体力の低下は避けられない。しかしゴルフは筋力の低下による飛距離の減少等も、技術でカバーできるスポーツだろう。そのためシニアツアーというプロゴルフの満50歳以上の選手によるトーナメントもある。さらには最近の医療技術の発達や栄養学の進化等により以前よりも高齢者の体力は向上している。そのため80歳を越えても元気なら、多くのゴルファーにとってエージシュートは決して達成できない目標ではないので定年後からゴルフの腕を磨いても決して不可能ではないだろう。

ゴルフを始める年齢はまちまちのようで、早い人は20代、環境によっては10代から始める人もいれば、50代、60代から始める人もいる。最近の技術の進歩によって、それぞれの年齢にあわせて用具をそろえることも可能だ。そのようなゴルファーにとって、第一の勲章はホールインワン。そして、いままでエージシュートという名を知らなかった人たちも、今回のジャンボ尾崎の達成によって浸透するだろう。そうなると、ある程度の年齢を経た人たちにとって、ある程度の年齢が必要となるエージシュートは新しい勲章となるかも知れない。ゴルファーの目標がまた一つ増えたかも知れない。

2013年4月29日月曜日

「天城越え」

石川が歌う吉岡治作品の代表作で男女の激しい恋、女の情念を歌う「天城越え」。ご存じ石川さゆりの代表曲の一つである。

しかし最初に詩を見たとき石川は思わず「こんな曲歌えないです」と言ったそうだ。
「あなたを殺していいですか」など激しい歌詞に戸惑ったらしい。

しかしなぜ「天城越え」は大ヒットし、今でもファンを増やし続けているのか?
やはりその魅力は歌詞にあると思う。前述の「あなたを殺していいですか」は激しい女性の情念を端的に表現する歌詞だ。

それまでの演歌では、歌われる女性は激しい情念を持っていてもそれを決して表に出さず、じっと耐えて男を待つ女性像が多かったように思う。
それに対して「天城越え」では、激しい情念をストレートに表現してる。それが昭和から平成に向かう世で、新しい女性像として受け入れられたのではないだろうか。

そして石川はあるインタビューでこのように答えていた。
「この曲の女性は私とは全く違っていました。今まで歌ってきた歌の中の女性はの経験を通して歌うことが出来ましたが、、この曲ではどう歌えばいいか非常に迷ってしまったのです。結局、演技をすることにしました。すなわち歌の女性像を自分なりに作り上げ、その女性になりきり思いっきり演じて歌うことにしたのです。」
石川が作り上げた「天城越え」の女性像は、つまり一種のアバターだったのだろう。そしてその曲を聴くオーディエンスも自分のアバターを作り感情移入していった。それが大ヒットのつながったと思った。

一つのエピソードがある。この「天城越え」をメジャーリーガーのイチローが2008年、打席に入るときのテーマ曲に選んだ。
「津軽海峡・冬景色」を紅白歌合戦で見て、年明けに兵庫県で開いたコンサートにイチローが足を運んだ。そうしたら「天城越え、かっこいい!」と感じたらしく、テーマ曲にしたいと思ったようだ。いろいろな記録超えがかかっている時期で心に期するものがあったらしい。早速「楽曲を使わせてほしい」と石川に依頼したそうだ。

アメリカで活躍する日本のサムライにエールを送りたいという思いから、音源は石川からプレゼントすることにしたらしい。ところが送ったら「大変恐縮ですが、これでは打席に立てません」と言ってきた。
「打席に立ったとき、よし行くぞという気持ちになれる、肌に浸透する感じ、もっと地鳴りのするものが欲しい」と説明されて音を作り直した。
ある程度出来上がった時期、ちょうど明治座(東京都中央区)で公演中だったのでスタジアムで鳴らすことを考え、広い所で聴いてみたいと終了後に音をガンガン鳴らしてチェックした。その後イチローに送ってそしてOKをもらった。

野球と石川のいるエンターテインメントの世界は分野こそ違うけれど、イチローの気持ちは石川に伝わったようだ。
わざわざ作った音源に注文をつけたイチローに、その思いを汲んで自分の公演終了後に実際に近い状況でチェックをした石川。お互いがそれぞれのプロフェッショナル。それぞれがそれぞれの思いで最高のパフォーマンスを行う。

このエピソードを知ったとき「天城越え」の魅力がまた増した気がした。

2013年4月23日火曜日

電王戦

将棋電王戦が開催され、初めてコンピュータが現役棋士に勝利した。

電王戦とは、コンピュータと棋士の対戦で第1回電王戦は、2012年に米長邦雄永世棋聖とコンピュータ将棋プログラムのボンクラーズによって行われた。
第2回は、2013年3月23日から5週にわたって、プロ棋士5人とコンピュータ5ソフトの団体戦が行われ、棋士側は1勝3敗1分けで終わった。

しかし対戦した将棋パソコンソフトも様々である。今回の5つのソフトは世界コンピュータ将棋選手権で1位から5位までのソフトであったが、アマチュアの方が作ったソフトもあれば東京大学の研究室が作ったソフトもある。

そもそも、最終戦で勝利した「GPS将棋」は679台によるクラスター処理を行い、1秒間に2億5千万手を読むらしい。
つまり棋士1人対コンピュータ679台というわけだ。これはあまりにも棋士側にとって不利だろう。話によると「GPS将棋」1台のみでの運用ではアマチュア棋士の有段者でも勝てる場合があるそうだ。
もし今後も電王戦を行うとすれば、棋士とコンピュータソフトがある程度対等な条件で対戦すべきだと考える。

今回の棋士側の敗戦を棋士にとって屈辱であると評したメディアもあったが、自分はそうは思わない。

将棋は概して好手を指した方が勝つというより、悪手を指した方が負けるといわれる。人間同士では好手と悪手が繰り返される。ところがコンピュータ相手だとそうはいかない。は悪手を指すと、容赦なく正確無比に突いてくる。そこには人対人での駆け引きなどは存在しない。
特に持ち時間が少なくなると、俄然コンピュータが優位になる。なにせ1秒間に2億5千万手を読むのだから短時間の判断では人間は到底叶わない。

今回の対戦、コンピュータ側には棋士相手に強さを証明できて得るものが多かったが、棋士側にとって何の意味があったのか。マスコミを初め世間の興味が高まったためその要望に応えるために対戦したのだろうが、本来の人間力や個性のぶつかり合いである将棋の面白さを広めることに貢献したとは言い難い。もっと将棋を通じた人間と人間が織りなす感動や勝負の面白さなどを広めることに努力してもらいたい。

一方コンピュータに関しては、将棋にかかわらず人間を超える性能を持っていることは誰もが分かっている。しかし、そのコンピュータの能力を持ってしても自然相手には常にその全てを把握できているとは誰も思っていない。たとえば地震がそうである。以前より地震の予知を科学者達は行っているが、近年の目覚ましいコンピュータ技術の発展も完全な地震予知には至っていない。何台のコンピュータをつなげてクラスター処理を行っても良いから災害の予知に大きな成果を挙げてもらいたいと切に願う。

2013年4月20日土曜日

「ミクロの決死圏」

先日 「ミクロの決死圏」を観た。以前より興味があった映画だった。
10年以上前にスピルバーグがリメイクした「インナースペース」を観た。これはなかなか面白い映画だったし、その元になった「ミクロの決死圏」という映画の存在を知って一度観てみたいとずっと思っていた。

「ミクロの決死圏」は1966年のアメリカのSF映画。当時SFといえば宇宙と相場が決まっていたのが、人間の身体を舞台にした作品とて興味深い作品である。

宇宙の神秘のように、我々人間の身体も長い年月をかけて進歩してきた高度な生体反応を持っている。それをわかりやすく表現していた。
メインとなる人体の内部表現は写実的というよりは、ファンタジータッチな印象を受ける構成となっている。

ストーリーとしてはスパイアクション仕立ての導入部、潜航艇内で何者かによる妨害工作が続きチーム内に敵のスパイがいるのではないかと互いに疑心暗鬼になる密室劇的要素、次々と起こる不測の事態の克服といったサスペンス要素など幅広い要素を散りばめた作品であった。

また一方で、将来の医療・科学の進歩を予想して当時研究されていた技術やアイデアを作品内に取り入れており、例えばレーザーによる縫合など、映画に登場したものとは方向性が大きく違うにせよ、後年に実現、発展した例も見受けられる。また、言うまでも無い事だが、「軍事作戦」としての「Operation(作戦)」と、「外科手術」としての「Operation(手術)」を掛けてあり、オペレーション・ルームから軍医たちによるモニターのもと、この「作戦(手術)」は進行される。この技術が確立されると、「数個師団をポケットに入れて持ち運べる」とか、「微細手術」を行なうプローブとなる潜航艇の、「縮小手続き」の丁寧な描写に、西洋近代科学技術のもつ「スケール感(観)」が、象徴的に言及されており、この映画の「科学教育効果」にも大変高いものがある。

本作は人体内部の造形や、その中を潜航艇で航行する特撮で、アカデミー美術賞および視覚効果賞を受賞した。その他、撮影賞・音響賞・編集賞にもノミネートされている。


「ミクロの決死圏」に倣いスティーヴン・スピルバーグが製作し、「ミクロの決死圏」のリメイク版とされるのが「インナースペース」。
監督:ジョー・ダンテ、製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。ワーナー・ブラザーズ配給作品である。
体内での冒険をメインで扱った名作「ミクロの決死圏」とはアプローチを変え、重点は体内に入ったパイロット、デニス・クエイドの指示に従って地上での大冒険を展開するマーティン・ショートの方に置かれている。

またデニス・クエイドが恋人(メグ・ライアン)の体内で自分の赤ん坊(胎児)を見つけるシーンは感動的である。

「ミクロの決死圏」にコメディー的センスを加えて、単純に楽しめる映画となっていて面白かった。こちらはまた観てみたいな。








2013年4月18日木曜日

ジャッキー・チェン

ジャッキー・チェンの最後のアクション映画「ライジング・ドラゴン」が公開される。

ブルースリーが切り開いたカンフー映画。そのブルースリーが急逝して後継者が長い間待たれた。そしてジャッキーチェンが現れた。
しかしそのスタイルはブルースリーとは大きく違っていた。殺気を前面に出しワザを繰り出すブルースリーに対して、ジャッキーのそれは時にはダンスのように時にはコミカルに繰り出していった。それはブルースリーのベースが格闘家であったのに対して、ジャッキーが京劇出身のスタントマンがベースとしてあったのがあると思われる。

ブルースリーがカンフーアクションに重きを置いたのに対して、ジャッキーは常にスタントに重きを置いた。CG全盛期の現在、時には大けがをして生死が危ぶまれることさえ合った。
「ポリス・ストーリー香港国際警察」では電飾ポールをすべり落ちるシーンで、第七・八脊椎の骨折により半身不随寸前の骨盤の脱臼を負い、「サンダーアーム龍兄虎弟」では木から木へ飛び移るシーンで落下し頭蓋骨を骨折、頭にプラスチックを埋め込む怪我を負った。

リーは初監督作品「最後のブルース・リー/ドラゴンへの道」(1972年作品)で、ローマのコロシアムを舞台にチャック・ノリスと互いに秘術を尽くして闘う“パンクラチオン・ファイト”を披露するなど、その主演作群において自らが創造した武道である截拳道(ジークンドー)を常に全面に押し出す事で、自身が武道家である事を観客に対して強くアピールしていた。
逆に、ジャッキーはそのコミカルかつ俊敏なアクションと共に、中国武術を銀幕上で様々な形で披露する技術に秀でていながらも、その映画人としてのスタンスはあくまでも“アクション俳優”であった。私たちはこれまでこの武打星としてスタンス&スタイルの異なる2人の偉大なドラゴンたちの主演作品を観続ける事で、香港クンフー映画というジャンルの持つ多種多様な魅力をより深く理解し、また愛し続ける事が出来たのである。
ブルース・リーを香港映画が世界マーケットへと進出する扉を開いた功労者にして“真正の武道家”とするならば、ジャッキー・チェンは香港映画の魅力を世界中のファンに知らしめた伝道師であり、永遠の“アクション・ガイ”なのだ。そして私たちは、今回この2人の伝説的なドラゴンが残してくれた数々の主演作品を感謝を持って受け取る必要があると痛感する。

そのジャッキーチェンが「ライジング・ドラゴン」をもってアクションスターから引退する。
「これ以上、映画を撮ってももう面白くないと思ったからです」
その理由について、ジャッキーは気持ちいいほどキッパリと答えた。10代から武芸に精力を注ぎ、スタントマンとして地道にキャリアを重ね、やっとの思いで手にしたはずのスーパースターの地位。だが、手放すことに本人はもはや何の未練もないようだった。

彼も59歳。年齢的にも確かに厳しいだろう。今後は「ベストキッド」のようなアクションはなくても彼のカンフーを見ることが出来るような役や演技を期待したい。



2013年4月17日水曜日

東京ディズニーランド

昭和58年4月15日に開園した東京ディズニーランド(TDL)が15日、開演30周年を迎え、園内で記念セレモニーが行われた。TDLを象徴するシンデレラ城前には、ミッキーマウスやミニーマウスなど約300のキャラクターやダンサーが勢揃いし、詰めかけた大勢の入園者とともに30周年を祝って園内は熱気に包まれた。

東京ディズニーランド(TDL)が30周年を迎えたそうだ。

TDLについて少し調べたら、世界のディズニーリゾートでは唯一ライセンス契約による経営・運営であり、経営・運営会社にディズニーの資本が全く入っていないらしい。驚いた。
にもかかわらず集客数は本家アメリカのディズニーリゾートを除くとパリ・中国のディズニーランドよりもダントツで多い。

レジャー産業を調査している米ERA社が2008年3月1日に発表した、2007年3月期の世界のテーマパークの集客数は次の通りである。

1位:マジック・キングダム(フロリダ 米国USA)16,640,000
2位:ディズニーランド アナハイム(カルフォルニア 米国)14,730,000
3位:東京ディズニーランド(東京 日本)12,900,000
4位:東京ディズニーシー(東京 日本)12,100,000
5位:ディズニーランド(パリ フランス)10,600,000

東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせると25,000,000人となり1位のマジックキングダムを凌ぐ来場者数である。

TDLの成功には、日本人のディズニーの世界観に対する憧れと、その世界を完璧に再現しようとする日本人の細やかさ、心配りが表れているのではないかと思う。ディズニーの世界観とは、夢の国といったものに欧米の文化というものも含まれている気がする。
考えるに昔から日本には客をもてなす気持ちが伝統に培われてきた。それは茶道などを見れば容易に理解できる。もともと日本人が培ってきた客をもてなす伝統が、TDLという夢の舞台で更に洗練し発展し続けていると思う。
それはウォルトディズニーが「ディズニーランドは永遠に完成しない」と言ったように、今のサービスに満足せず、これからもより良いサービスを求めていくのだろう。
夢の国と言われるTDL。それは建物といったハードな面だけでない。従業員の応対といったソフト面でも大きな魅力があるようだ。

TDLという場所は魔法が存在しているのかもしれない。あそこへ行くとみんなが幸せな気持ちになれる。そしてその魔法はTDLのハードとソフトの表面から成り立っているのだ。

2013年4月14日日曜日

地震速報

昨日の早朝聞き慣れないアラーム音で起こされた。

寝ぼけながら音源をたどってみると自分のスマホ。いつの間にかスマホにインストールされていたauの災害対策アプリから緊急速報メールが届き、アラーム音が鳴っていたのだ。
一気に目が覚め急いでTVをつける。無論TVでも地震速報を流していた。淡路島で震度6弱。
今度の震源地は18年前の阪神淡路大震災の震源に近い活断層らしい。地震の規模は阪神淡路大震災と比べて小さかったが震源が浅かったため大きな揺れとなったらしい。
被害は少なかったようだが、被害に遭われた方には心よりお見舞いを申し上げたい。

18年前の阪神淡路大震災の時は大きな揺れで目が覚めた。今回はスマホのアラーム音。
もちろん18年前は携帯はあったがスマホは存在していなかった。

TVをつけていれば緊急地震速報が見ることが出来るが、今回のような早朝であればTVの地震速報を見て地震の対策を取ることは出来ない。スマホが災害にも役立つということを今回再認識させられた。

マグニチュード7以上の地震は世界中でこの90年間に900回ほど起きているが、そのうち10%もの地震が日本で起きている。これは日本周辺のプレートが要因となっている。
日本には北アメリカプレート・ユーラシアプレート・太平洋プレート・フィリピン海プレートの4枚のプレートが、交差点のように周辺に集まっているからだ。

結局のところ我々日本人は地震とずっと相対していかなければいけないのだ。地震の予知は技術的にまだまだ未成熟であることは今回の東日本大震災で立証された。
しかし、地震が起きたらすぐに知らせる技術は着実に進歩しているようである。技術的に進歩した地震警報を私たちがいかに素早く受け取り適切に判断し行動していくか。
ハードウェアだけでなくソフトウェアも重要になってくるのだろう。
さらには温故知新の言葉のように、地震や津波に関する先人達の知恵をしっかり受け継いでいく必要もあると考える。

宮城県では過去何度も大津波に襲われている。そしてそれを教訓とした先人達の言葉が多く残っている。たとえば「津波てんでんこ」「命てんでんこ」
これは、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。
これは間違って解釈されることも多い。
群馬大学の片田大学大学院教授によると、「津波てんでんこ」というのは、「てんでばらばら、自分勝手に逃げる」というふうに間違って解釈されているがそうではない。「信頼関係がなければ、てんでんに逃げることなんてできない。子供は絶対に逃げてるに違いないと思うから、親は逃げられるのだと。これは親子の信頼関係がなければできないことだ。」と言っておられる。
このように先人達の大切な教えを間違いなく正しく伝えていく必要があるのだ。

津波対策はハード、ソフト両面あるが、特にソフト面が非常に大切なことが証明された。このようなこともふまえ各家庭で災害時にどう行動するか、考え続けていきたいと痛切に感じる。そして考え続けていくことが真の災害対策になるだろう。

2013年4月12日金曜日

村上春樹

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売された。

初めて彼の作品を読んだのは10代の終わりだった。知人に勧められて読んだ作品は「1973年のピンボール」。
当時の自分は、それなりの読書をこなして色んな作家の作品を読んできたが、初めて読んだ村上作品に衝撃を受けた。作品の中で主人公の感情や気持ちなどが今までにない表現で描かれていた。
当時の若い自分の中にあった上手く表現できなかった気持ちや考え、感情などがその小説の中で見事に表現されていた。これは今までにない新しい作家の誕生ではないだろうか。そう思いこの作家に興味を持ち、村上春樹の作品を読みあさっていった。そんな中「ノルウェイの森」を読み、すっかり村上春樹の熱心な読者となった。今でも自分の中で「1973年のピンボール」と「ノルウェイの森」は自分の中で大切な小説である。

村上春樹作品はその文章は分かり易いが、ストーリーは時として難解でありSF的な要因も含む。人によってはこれを好まない人もいるが、自分は普通に受け入れることが出来た。
なるほど、こういう小説もあるんだなと感じ、不思議と違和感は覚えなかった。

近年、村上春樹はノーベル文学賞候補になっているという話を聞く。また彼の作品は海外でも高い評価を受けており、特にアジアの若者に大きな影響を与えているらしい。
日本だけでなく海外でも支持者が多いと言うことは、若者にとって感じる部分は同じということが言えるのかも知れない。

前作の「1Q84」発売時も大きな話題となり、出版業界自体に大きなインパクトを与えた。即ち「1Q84」の売り上げが出版業界の販売数増大に寄与したのだ。あまりの反響の大きさに第3部(Book3)は、当初2010年夏に出版される予定となっていたが予定が早められて2010年4月16日に発売さるということになった。
しかしながらこの作品の前にイスラエルのエルサレム賞を受賞したことにより、実力以上に注目され、このことが「1Q84」のヒットの要因になったと酷評する声もある。
それでも作品に魅力がなければ、出版不況の現在100万部を超えるヒットになることはありえない。魅力的な作品であったことは事実であろう。

今度の新作も期待を持って読んでみたい。

追記:4月17日、発売後1週間で村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発行部数100万部を超えたらしい。「1Q84」の記録を抜く自信最速の記録になった。

2013年4月11日木曜日

北朝鮮

金正恩第一書記が北朝鮮の指導者の地位について一年が経った。

今、朝鮮半島の緊張が高まっている。

以前の金日成国家主席・金正日総書記は危機を煽りながらも落としどころをふまえ、挑発的な発言と共に妥協点も暗に明示していた。ところが現在の金正恩第一書記はその点がハッキリしない。アメリカもこの点も戸惑っているようだ。

北朝鮮と日米韓の3国を考えた場合、大きく違う点がある。それは北朝鮮は世論を考える必要がないという点だ。独裁体制の北朝鮮では国民に言論の自由はなく、政府が決めることにただただ従うことしかできない。
それに対して民主主義の日米韓では世論が大きな力を持つ。国の指導者も、国民の意見を無視して物事を決めることは許されない。
たとえば今回、アメリカは北朝鮮の挑発を力で押さえ込む姿勢を見せるためステレス性能を持ったB2戦略爆撃機を米韓演習に急遽参加させた。ところが、このことが北朝鮮をいっそう煽る形になったのではないかとアメリカ国内からの世論の反発を受けた。同様な世論に対する配慮は日本や韓国でも見られる。難しいところだ。

しかし報道などによると、北朝鮮も決して一枚岩ではないようだ。朝鮮労働党と朝鮮人民軍との対立が内部にあるらしい。
北朝鮮では民主主義国家における重要な原則であるシビリアンコントロール(文民統制)が存在しない。シビリアンコントロールは政治が軍事をコントロールする重要な制度で、軍事力の暴走を抑制するための重要なシステムだ。文民(国民)が、選挙で選ばれた国民の代表を通して軍隊をコントロールするというシステムは民主主義国家においては必要不可欠とされている。
歴史を読み解いても、武力が権力を持ってしまうと全くコントロールできなくなり、それが戦争といった最悪の状況の陥る例は枚挙に暇がない。北朝鮮ではシビリアンコントロールの制度がないため、軍をコントロールできなくなりつつあるのではないか。
権力者に軍をコントロールするだけの力量があれば良いが、一個人の資質に国の命運を委ねてしまうというのは非常に危険であり、そのため憲法等でシビリアンコントロールを明文化しておく必要があると考える。

十分な根回しをして朝鮮戦争を仕掛け、各国に対して渡り合った金日成主席と、その父の姿を側で長い間見てきた金正日総書記。それに比べて金正恩第一書記は若く経験が不足している。軍をコントロールできるか未知数だ。

以前読んだ本にこんな事が書かれていた。
「正しい判断が出来きるリーダーがいる組織でも、間違った情報を与え続けると組織としては間違った方向へ進む。」

関係各国のリーダーは正しい情報に基づき正しい判断をして欲しいと切に望みたい。

2013年4月10日水曜日

インフレとデフレ

インフレーション(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象である。日本語の略称はインフレ。日本語では「通貨膨張」とも訳す、俗称は「右肩上がり」。反対に物価の持続的な下落をデフレーションという。

デフレーション (英: Deflation) とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指す。略してデフレとも呼ぶ。日本語では通貨収縮。対義語に物価が持続的に上昇していく現象を指すインフレーション (英: Inflation) がある。

物価が上がっていくのがインフレ、下がっていくのがデフレ。消費者にとって物価が下がる方が良いのでデフレが好ましいと思われがちだが、そうではない。日本は1995年頃から16年以上も続いている。これで景気が良くなっているとは誰一人感じていない。

この間TVを観ていたらコメンテーターの会社社長がわかりやすい説明をしていた。
「インフレでは物価が上がるので、みんな早めにモノを買おうとする。なぜなら明日になったら値段が上がるかも知れないから。だからある程度はモノが売れる。
反対にデフレで物価が下がるから、モノを買わない。なぜなら明日になったら値段がもっと下がっているかも知れないから。だからモノが売れない。そうなると販売者側は更に価格を下げる、という悪循環になる。」

非常に分かり易い。デフレでは物価が下がるだけでなくモノが売れなくなるのは、みんながモノを買わなくなるからだ。
よってデフレは解決すべき問題であるということは、経済学者・エコノミストで全員一致している。

日本はデフレに突入して16年以上が経過していると言われている。この間に様々なデフレ脱却の手段を時の内閣は取ってきた。しかし、どれも目立った効力は発揮できなかった。
日銀も金融緩和政策を採り続けてきているが同じく目立った成果は挙げられずにきた。

そんな状況で新しく就任した日銀の黒田新総裁は4日の金融政策決定会合後の記者会見で「次元の違う金融緩和だ。戦力の逐次投入はせず、必要な政策はすべて講じた」と強調した。
このコメントを聞いて、なるほど結局今までの日銀に欠けていたのはこれだったのか、と納得した。即ち「戦力の逐次投入はせず」という部分だ。
戦力の逐次投入とは、戦力を小出しにしていく方法でこれでは敵に各個撃破されれば全滅してしまう非常に危険な方法である。
タイミングと時期を見計らったら、持てる戦力を一気につぎ込む。そうしないと戦いには勝てない。
いままでの日銀総裁は経済学者としては優れていたが、戦闘指揮官としてはそうではなかったのだろう。

新しく就任した日銀の黒田総裁はデフレというモンスターに倒すためにはインフレというもう一方の怪物を手なずけなければならない。戦闘指揮官としての黒田氏の手腕に今後期待したい。

2013年4月9日火曜日

サッチャー

英国のサッチャー元首相が2013年4月8日死去した。享年87歳。

マーガレット・サッチャーことマーガレット・ヒルダ・サッチャーは、イギリスの政治家で貴族。爵位は男爵(女男爵)。イギリス史上初の女性保守党党首、英国首相。1992年からは貴族院議員。保守的かつ強硬なその性格から「鉄の女」の異名を取った。首相在任期間は1979年5月4日から1990年11月28日。

30年以上前、サッチャー氏は首相に就任し、自由市場経済と個人の選択の原理を強く支持して英国経済を改革したほか、同氏の積極的な外交政策は冷戦を終結させる上で重要な役割を果たした。

2012年3月16日には彼女の伝記映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題: The Iron Lady)が公開されヒットとなった。主演のメリル・ストリープは「この驚くべき女性を通じて歴史をひもといていくお仕事は、非常に難しくもあり、またワクワクするような挑戦です。この役柄には、実際のサッチャー女史が抱いていたような情熱と注意深さを持って挑もうと思います。わたしの気力が彼女の持っていた気力に近づくことを期待するのみです。」と語った。

最初彼女の名前を聞いた時「マーガレット」って可愛い名前だなという印象を受けた。しかしニュースで流れる彼女の別名は「鉄の女」。この二つの名前のギャップが大きくとまどったことを覚えている。

いまでは女性指導者は珍しくなかったが当時としては珍しかった。今でも自分としては女性指導者といわれるとサッチャーの名前が浮かぶ。

彼女は約10年間イギリス首相の任にいた。日本で10年間首相を務めた人はいない。小泉さんでも5年。サッチャーさんの半分だ。
といっても日本と英国では政治形態が違うので比較は出来ない。イギリス首相としては10年の任期は普通らしい。

故田中角栄元首相は「自民党幹事長は何度やってもいい。あんな面白い職はない。しかし総理大臣は一回で良い。」といったらしい。それだけ一国の首相は激務ということだろう。

妻であり母で一国の首相であった彼女の心労はなみたいではなかったと推測される。

イギリス政府はサッチャーの葬儀を4月17日にセントポール寺院で、エリザベス女王とエジンバラ公の参列を賜る準国葬にすると発表した。首相経験者の葬儀に国王(エリザベス女王)が参列するのは1965年に亡くなったウィンストン・チャーチル元首相いらい48年ぶりとのこと。彼女の人柄と構成がこのことからも偲ばれる。

2013年4月8日月曜日

新一年生

秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは7日午前、お茶の水女子大付属小学校(東京都文京区)の入学式に出席された。

同校によると、新入生は約100人。悠仁さまは3月までは同じ敷地内にある付属幼稚園に3年間通われていた。
皇族が学習院初等科以外の小学校に進むのは戦後初めてのことで、お茶の水女子大学附属小学校では、警備関係者のための待機施設を新たに造るなど準備を進めているとのこと。
なぜ学習院ではなくお茶の水女子大学附属小学校になったかというと、母である秋篠宮妃紀子様が同大学を拠点に研究活動を行っていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度での合格によるもので、悠仁親王が適用第一号だそうだ。

学習院は明治時代初期の1877年に皇族・華族のための教育機関としてあらためて開校された学校。そこに将来の天皇が通わないというのは驚き。
実際問題として、天皇家の子供達(皇太子・秋篠宮)で学習院以外は悠仁親王だけだし、報道でもあるように皇族が学習院初等科以外の小学校に進むのは戦後初めてらしい。

秋篠宮様は当然悠仁様への将来の帝王学として学習院よりお茶の水を選んだということなんだろう。悠仁様は秋篠宮家であるため従来の慣例には従わなくても良いのかも知れないが、学習院の方はどう思ったんだろう。興味があるな。それに入学式を日曜にやるんだなって珍しく思った。

ところで皇太子の地位と皇位継承順位について調べてみた。現在の皇太子殿下が天皇になると、秋篠宮様が皇位継承順位1位になる。この場合、秋篠宮様は皇太子と呼ばれるのだろうか。
皇太子は天皇の子供で皇位継承順位第1位の皇族に対して呼ばれる尊称なので、皇太子殿下が天皇になられても秋篠宮殿下は皇位継承順位第1位になられるだけで皇太子にはならないらしい。たとえば昭和天皇に男子が生まれなかった時期にも、次弟の秩父宮殿下が皇太子と呼ばれていなかったことでも理解できる。
一応、呼称として皇太弟という呼び方があるそうだが、現行法は皇太弟という呼称を認めていないので、たとえ皇位継承順位が第1位に繰り上がっても秋篠宮殿下の尊称はそのままだそうだ。

天皇に関してはいろいろな意見がある。しかし国民の大多数は天皇制に賛成している。特に日本が国難に遭ったとき、天皇の存在は重要になると自分は考えている。
たとえば、戦後の昭和天皇の全国巡幸である。
そして東日本大震災の皇室の対応もそうであった。
東日本大震災の時も、早くも3月30日から被災者をご訪問なされ4月27日には被災地に巡幸なされた。余震のリスクを考えると非常に早い巡幸であったと思う。
心臓の冠動脈バイパス手術を受け退院から1週間後に開催された一周年追悼式では、20分間に限定してご臨席。一周年追悼式に出席したいという希望をお伝えになり、それに間に合うように手術を行われたと、追悼式出席を最優先に考えて手術を決断したことを明かされている。
東日本大震災による電力危機の時は、東京電力が実施した管内における計画停電は皇居・御所がある千代田区は対象外であったが、皇居・御所では東京電力が発表した計画停電スケジュールの「第1グループ」地域における停電時間に合わせて電気の使用をほぼ全て控える「自主停電」を行われ、東京電力が計画停電スケジュールを発表している場合は実際の停電の有無に関わらず続けた(4月30日を最後に東京電力から計画停電のスケジュールが発表されなくなったため終了)。

常に国民の事を考え、国民の象徴として行動されている天皇の素晴らしさを将来の天皇も引き継がれていくだろう。
悠仁様が皇位を継がれる姿を見たいと思うが、年齢的に自分が見るのは難しいだろうなぁ。

2013年4月6日土曜日

春の嵐

今日から明日にかけて台風並みに発達した低気圧が日本海を北上するらしい。

去年も同様な天気で、同じく台風並みに発達した低気圧が日本海を北上し各地に大きな被害をもたらした。何日だったかなと思い日記を観ると4月3日だった。
去年のことを思い出してみると、数日前から天気予報では「台風並に発達した低気圧」という表現を使って注意を喚起していた。気圧の低さも数字を出して台風と比較していた。しかし受け止める側は、気圧の数字などを見てなるほど確かに台風並のなんだなと思いはしたものの、所詮は低気圧なとど高を括っていた感は否めない。ところが実際に体験するとすごかった。確かに台風と同じ勢力だと感じた。

調べてみると低気圧には二つ有るそうだ。温帯低気圧と熱帯低気圧。このうち熱帯低気圧が発達し最大風速17.2m/s以上になると台風と呼ばれる。
台風即ち熱帯低気圧は暖かい海水の上昇気流がそのエネルギー源となっている。そのため海水温が低いところへ行くとだんだんと勢力が落ちる。
一方低気圧(温帯低気圧)は寒気と暖気とがぶつかって出来る前線上で発生し、その大気の温度差がエネルギー源となっている。そのため大気の動きによっては勢力が長時間維持される。

台風と低気圧を比べた場合、一般的には台風の方が勢力が強い場合が多い。ただし今回のように台風並の勢力となった低気圧は台風より怖い。なぜなら台風であれば、暖かい海水温をエネルギー源としているため、海水温が低い海域や陸地に上陸するとだんだんと弱まって進んで行き風雨の勢いが弱まることがある。ところが低気圧は上空の大気の温度差がエネルギー源のため、大気の位置が変わらないと殆ど威力を衰えないまま進んでいく。さらには暴風雨の範囲も低気圧の方が広い。恐るべし低気圧。甘く見るととんでもない目に遭う。

去年の教訓から、今年は早めに食料を買い込み低気圧が通過する時間は家に閉じこもることにする。人間はいくら科学が発達しても所詮自然には叶わない。「君子危うきに近寄らず」である。

追記:低気圧が去った8日、三重県の津と伊賀両市にまたがる青山高原の風力発電施設「ウインドパーク笠取」で風力発電機1基の支柱(高さ65メートル)の先端に付いていた風車(3枚羽根、直径80メートル、発電機を含む重さ140トン)が落下しているのが発見されたらしい。
風車が落下するほどの風で支柱も曲がるほどのエネルギー。しかし100t以上の重量物が落ちるなんてどれほどの強風が吹いたのだろう。たかが風と言いながら100t以上の重量物を破壊するほどのエネルギーを持っているとはまさに驚きであった。自然が牙をむけば人間の作り出したものなど簡単に破壊されてしまうと言うことが改めて認識させられた。

2013年4月4日木曜日

北野映画

現代日本を代表する映画監督に一人に北野武を挙げることに異を唱える人は少ないであろう。
ヴェネツィア国際映画祭で第54回ヴェネツィア金獅子賞と第60回ヴェネツィア国際映画祭監督賞(銀獅子賞)を受賞しており、北野映画は新作が発表される毎に注目を集める。

自分の中の北野映画は、非常にマニアックな印象を受ける。一般的にいっても非常にクセのある映画と感じている人も多いと思う。

北野映画の特徴はその暴力性である。批評が別れる北野映画の暴力の描写であるが、「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」と考えているのではないだろうか。

たとえば戦争映画を例に取った場合、感動的な戦争映画も多数あるが、結局戦争とは人殺しの場である。それをリアルに表現したのが映画「プライベートライアン」の冒頭シーンでスピルバーグが描いたノルマンディ上陸作戦の場面であり、スピルバーグが描いたリアリティはその「皆が目を背けたがるが厳然として存在し、目を背けることができない」ものであろう。

自然界で動物たちは弱肉強食の世界に生きている。それは即ち弱いものは強いものの糧となる世界だ。それを誰も非難しないし当然のことと受け止めている。
人間も生物の一部なのだから、自然界の動物が当然持っている暴力性を持っているはずだ。しかしそれを真正面から向き合うことを人はしたがらない。北野はそれを厳然たる事実だ受け止めて表現しているのだろう。
「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」ということを説明するとするとそうなるのかも知れない。そして、「生きてくってそういうことなんだよ」と北野は言っている気がする。
人間は大なり小なりの暴力の上に成り立っている部分があり、それを無視して人間を描くことが北野武には出来なかったと思う。

しかし「暴力」と「人間の美しさ」という相反する事象を北野は見事に調和させ描き出している。それを引き出すのが「キタノブルー」と呼ばれる独特の青。
「キタノブルー」は北野映画のビジュアル面での大きな特徴である。画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるということもあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれ、ヨーロッパで高い評価を得た。これは突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったというが、近年『Dolls』以降はキタノブルーの傾向は薄れているようだ。

どちらのしてもキューブリックがそうであったように、北野武の映画は誰が観てもすぐに北野映画であるということが分かる。そういう意味でも素晴らしい映画人であることは間違いない。



2013年4月3日水曜日

「2001年宇宙の旅」

「猿の惑星」と同じ1968年に「2001年宇宙の旅」も発表された。

この作品を最初に観たのはいつだったのだろうか?多分スターウォーズの第一作が封切られた年にTVのロードショウ番組で観た記憶がある。スターウォーズに影響を与えた映画ということで、期待してみたのだがよく分からなかった。今考えればスターウォーズと比べるのは間違いだったと思う。
それから何度か観たが印象はあまり変わらなかった。何でみんなこの映画は素晴らしいという評価をするのか不思議だった。

原作者のアーサー・C・クラークはこう言ったそうだ。
「もしもこの映画が一度見ただけで理解されたのなら、われわれの意図は失敗したことになる。」
よく分からない印象を持ったのは当然だったらしい。

ところが何度か観た時ふと思ったのだ。
ちょっと待てよ。この映画が作られた時CG(コンピュータグラフィック)て無かったんじゃないか?ということはあのシーンはどうやって撮ったんだ?
今であればCGを使って撮影するシーンが「2001年宇宙の旅」には多数ある。それが全て実写で撮ったとすれば一体どうやったんだ?
この映画はボイジャー計画以前であることは言うまでも無いが、アポロ計画よりも前に作られている。人類は他の惑星の映像はおろか、月にも降り立っていない時代だ。それなのにここまで完璧に宇宙の映像を描き出している。

それに気づいた時ぞっとした。この映画とんでもないぞ!!
発表当時に観た人たちが受けた衝撃が想像できた。

同年に『猿の惑星』 も発表されたが、これだけクオリティーが高い作品が2作同時に登場したということはある意味奇跡に近い出来事であったと思う。

この映画がここまで見事に仕上がったのもキューブリックの完璧を求める姿勢にある。キューブリックはこの映画を作るにあたり天文学者、物理学者はもちろんのこと生物学者に至るまで、さまざまな科学分野の人間に助言を求め調べ尽くしたらしい。そして完璧な宇宙空間の映像を作り出した。

またキューブリックはこの映画でそれまでには 無い映像技術をいくつも生み出している。キューブリックいわく「存在しない技術なら作り出せば良い」。またこうも言ったらしい「人間の想像しうるすべては必ず映像に出来るはずだ」。そしてそれまでに無い奇跡的な映像 が生まれた。
この映画は、ルーカス、スピルバーグなど多くの映画監督に絶大な影響を与えた。

キューブリックは完璧主義者として知られているが、撮影が終わった後全てのセットや大道具小道具を処分してしまった。
後に続編となる「2010年宇宙の旅」を制作する際に、「2001年・・・」で使用したセット等が無く、また全て作り直したそうだ。

発表された当時と比べて家庭向けTVの性能は格段に向上している。今後ますます向上していくだろう。それでもその鑑賞に十分堪えられる映画として「2001年宇宙の旅」は存続していくと思う。全くスゴイ映画だ。


2013年4月2日火曜日

「猿の惑星」

この間、久々に「猿の惑星」を観た。TVのロードショー番組で放送していたのだ。
「猿の惑星」といっても1968年に封切られたオリジナル第一作目だ。
今観ても猿たちの特殊メークアップやストーリーの奇抜さ、そしてラストシーンの衝撃など非常に面白く楽しめた。
SFでありながら、ほとんどSF的な映像が出てこない不思議な作品でもある。
当時のレベルからは飛びぬけたその特殊メイク技術、これによりアカデミー賞にメイクアップ部門が設立されるなど各方面に影響を与えた。
それまでに例を見ないストーリー展開と人間社会への強烈な風刺、まず第1級のSF作品と言って良い。

調べたら「猿の惑星」はフランスの小説家ピエール・ブールによるSF小説で1963年発表された作品らしい。原作があるとは知らなかった。
最初に観た時は幼かったこともあり猿たちの特殊メークアップと、そのストーリーが衝撃的で非常に印象に残っている。未来の地球は猿たちによって支配されるかと思い、しばらく動物園などに行ってもサルが恐ろしかったのを覚えている。

大人になった今改めて映画を観て感じる点が何点かある。

その1.猿たちを主導する政治家が「第一書記」と呼ばれていたこと。1968年というと冷戦まっただ中。猿たちが社会主義とは思えなかったが、政治家のトップが「第一書記」という役職と言うことは冷戦を感じさせた。

その2.猿たちのメークアップの素晴らしさ。当時は当然CGなど無く出てくる猿たちは全て特殊メークアップをした役者であった。メークだけでなく演技そして表情も、進化した猿という人間と猿の間といった感じで素晴らしい。

この第一作の「猿の惑星」ではなぜ地球を猿が支配するようになったかは解き明かされなく終わるが、続く続編で解き明かされ全てのシリーズ5作が繋がるようになった。

2001年にはティムバートン監督によるリメイク作品も公開された。この作品は原作により忠実に作られているらしい。機会があったら一度観てみたい。

ちなみに原題は「PLANET OF THE APES」。APESとはAPEの複数形で、「類人猿」を意味する。MONKEYでは無いんだなと思った。


2013年4月1日月曜日

エイプリルフール

米グーグルは突然4月1日午前零時に傘下の動画共有サイト「ユーチューブ」を閉鎖すると発表した。

グーグルは3分半の動画をユーチューブに投稿。その中で、サイト閉鎖後に、これまで投稿された動画15万本の中から最も優れた作品を選出する作業を今後10年かけて行うと説明。
さらにユーチューブでは2023年に最優秀作品のみが視聴できる状態で再開され、受賞者には奨励金500ドル(約4万7000円)とクリップオンMP3プレーヤーが与えられるとしている。

このニュースを見て非常に驚いた。しかしすぐにエイプリルフールのジョークであると気づく(というかニュースでもエイプリルフールであることが記載されていた)。

外国企業はこのようなジョークが好きだなぁとつくづく感じた。以前は英BBCの「ビッグ・ベンのデジタル化、およびそれによる時計針のプレゼント」(1980年、2008年)などがあった。
日本ではまずありえない。と同時に笑いのセンスも違いがあるのであろうと思った。

元をたどれば、エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。欧米ではこのような人をビックリさせたり皮肉ったりするのが好きなのだろう。
一方日本では落語に代表されるような、ほのぼのとした笑いを好む。
それぞれの国で笑いの質等のが違うことが分かる。

たとえば「トムとジェリー」の笑いと「サザエさん」の笑いは大きく異なる。「トムとジェリー」は弱者であるネズミが強者であるネコをやっつけることに笑いを誘う。一方「サザエさん」ではどの過程でも起こりうるほのぼのとした笑いを表現している。
そう考えると、笑いにはジョーク系の笑いと、ストーリー系の笑いがあるように思える。

ジョーク系は漫談、漫才などギャグの笑い。
ストーリー系の笑いは、こんな出来事があってこんな人がこんな失敗をしたという、例えば人の失敗談など。ストーリーがある笑いである。人間そのものの持つ可笑しさ、面白味である。
落語は当然こちらの笑いになる。落語は人間の本質を題材に笑いを招く芸で、落語の舞台は普通の人々の普通の日常生活。落語の中に出てくる登場人物たちは世界中どこにでも身近にいるような人たちばかりである。

ある落語家は「日本の笑いが世界中に広がれば世界は平和になる」といっていた。
それはほのぼのとして、そういえばウチでもそんなことがあるよなと人々の共感を誘う笑いである。

そういう意味ではエイプリルフールという習慣は日本にはあまりそぐわないのかも知れない。