2013年12月23日月曜日

ネルソン・マンデラ

南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラ氏が死去した。

マンデラ氏の功績は言うまでもなく、悪名高い南アのアパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃に追い込んだことだ。
その昔、南アフリカでは少数派の白人が多数派の黒人を極端に差別し、政治、経済などすべての領域で支配していた。人種差別を制度化する数々の法律が制定され、強固な抑圧体制がつくられていた。

マンデラ氏は黒人解放団体の指導者として反差別闘争を率いたが、厳しい弾圧を受け27年半に及ぶ獄中生活を送った。しかし決して屈せず、白人側の指導者と粘り強く交渉し、差別撤廃と民主化への道筋を付けた。

これだけでも歴史に残る偉業なのだが、マンデラ氏の真価は、むしろここから発揮された。

1990年2月11日。27年間にわたる囚人生活を終えたマンデラ元大統領はケープタウン郊外の監獄を出て自由の身となった。誰もが待ち望んでいた瞬間だった。

その後、ケープタウンの市庁舎でマンデラ元大統領が行った演説は、多くの人々の予想を裏切るものだった。バルコニーの前の広場には、新たな社会の夜明けに期待する約10万人の市民が集結していた。自らもその場に居合わせたという地元の観光ガイドは「抑圧されていた黒人は仕返しの狼煙(のろし)になると思っていたし、加害者側だった白人は戦々恐々としていた」と打ち明けたあと、こう付け加えた。

「だけど、マディバ(マンデラ元大統領の愛称)は白人を許すように言ったんだ」

「やられたらやり返す」という「対立」の図式を強調するのではなく、「融和」を訴える姿勢は、その後の南アフリカ社会に深く浸透し、それが南アフリカ人としての誇りにつながった。

マンデラ氏は1994年、すべての人種が参加した初の選挙で勝利し、南ア初の黒人大統領に就任した。白人は黒人主導の政権からの復讐(ふくしゅう)を恐れたが、マンデラ氏は報復より和解の道を選んだ。

南アではアパルトヘイト時代に白人の治安当局や政党が、政治活動をする黒人を法の手続きを無視して殺害するケースも多かった。マンデラ氏は「真実和解委員会」を設置し、弾圧やテロの加害者と被害者が公聴会の場で向き合い、真実を告白することで免責する制度を採用した。懲罰ではなく許しと癒やしに重点を置き、憎しみの連鎖に陥るのを食い止めた。

この手法は、その後の民族紛争処理のモデルとなった。マンデラ氏が全人種から「和解の人」と敬愛されたゆえんである。

まさに偉人だった。

しかし、マンデラ元大統領の「融和」の教えは、残念ながら今の東アジアには見当たらない。
「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」と演説する一国の大統領が居ることは悲しいことだと思う。

2013年10月19日土曜日

誤検知

16日夜、いきなり画面が真っ赤になり、使用しているフリーのアンチウィルスソフトAvastから「脅威を削除しました!」とのメッセージ。そしてそのファイル名は”atok17ae.dll”
ど~みても愛用しているATOK17のファイルじゃないですかぁ~。
再起動すると、やはりATOKのファイルが足りないとのエラーメッセージが出てました。

どうやらAvastがATOKファイルをウィルスと誤検知して削除していたようです。
ATOK17とAvastは今まで仲良くやってきたのに、急に大げんかしてしまって非常に困りました。
エラーメッセージには「再度インストールすると復活する可能性があります」とあったので、ATOK17を再インストールしましたがインストール最中にもすぐAvastが削除してしまいます。
とりあえず応急処置として、ATOK17を一時削除してMS-IMEを使うこととしました。

2~3日程MS-IMEを使っていましたが、やはりATOK17がしっくりくるんですよ。日本語入力は毎日必ず使うので、ちょっとした違いが喉に刺さった小骨のように嫌なんです。で、いろいろ考えて次の方法をとることとしました。

1.ATOK17を再インストールするときはAvastを一時停止しておく。
2.ATOK17を再インストール後Avastを再起動させ、AvastがまたATOKファイルを削除したら、Avastのチェストから当該ファイルを復活させてAvastに当該ファイルが安全であることを認識させ、2つを仲直りをさせる。

早速実行。
1の行程は問題なく終了。それでいよいよ2の行程へ。
ドキドキしながらAvastを再起動しました。ん?画面が赤くならない。
どうやら仲直りしたようです。あ~~よかった。

真面目な話。Avastのメーカーで修正したのでしょう。
日本語入力ソフトのシェアNo1のATOKをウィルスとご認識してしまっては、一気に日本でのシェアは無くなってしまいますからね。
方や有料ソフト、方や無料で使えるソフトとなれば、二者択一となった場合ユーザーがどちらを選ぶかは明らかですもん。

ネットで調べるとATOKとAvastは相性があまり良くないらしく、いろんなトラブルが起きているようです。そうかんがえるとウチのATOK17とAvastは仲良くやってきた方なのでしょう。でも、しばらくはビクビクして日本語を入力する日々です。

2013年8月28日水曜日

レスポール

レス・ポールと聞いて、ギターの名器のギブソン社製レスポールモデルを思い出す人が多いのではないだろうか。しかし、レスポールは実在した人物である。

エリック・クラプトンやキース・リチャーズ、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エドワード・ヴァン・ヘイレンなど名だたるミュージシャンたちに愛用され、エレキ・ギターの代名詞となった「レスポール」の産みの親がレス・ポールであった。

1915年6月9日、アメリカ、ウィスコンシン州生まれ。

1930年代よりミュージシャンとして活動をスタート。彼は元々がギタリストであり、現在までに50枚のシングルと35枚のアルバムをリリース、累計で合計3千万枚以上のレコードセールスを記録している。1940年代に世界で初めてソリッド・ボディのギターを発明し、その後、レコードのカッティングマシーンを自作。多重録音を可能にしたり、アナログディレイマシンの原型を発明した。

1951年には妻のメリー・フォードとのデュオ、レス・ポール&メリー・フォードの『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』が全米一位を獲得。その翌年、ギブソン社初のソリッドギター“レスポール”が発売される。人気の低迷や、離婚、耳の鼓膜が破れるという事故に見舞われるも、1974年現役復帰。1976年チェット・アトキンスと作成した「チェスター&レスター」で1977年グラミー賞を受賞。今までに5 度グラミー賞を受賞しているほか、1988年には、後世のロック・アーティストに影響を与えた人物に贈られる、ロックの殿堂のアーリー・インフルエンス部門に殿堂入りしている。また、2005年には8トラック・テープレコーダーやギブソン・レスポールの功労により、ミュージシャンとして唯一「発明家の殿堂」入りを果たした。

キース・リチャーズは「彼は俺たちに最高のオモチャを与えてくれた」とコメントしている。エディ・ヴァンヘイレンは「彼がしてくれた事が無ければ、自分は今していることの半分も出来なかった」とも言っている。

またカーペーンターズのリチャーズ・カーペンターもレスポールの多重録音を初めて聞いた時、非常にショックを受けたと述べている。幼かった彼は多重録音されたメリーフォードの歌声を聞いて、母親に「どうやったらあんなに歌えるか?」と尋ねた。それに対して母親は「一生懸命練習すれば歌えるようになる」と答えたらしい。

全くもってレス・ポールがいなければ、現代の音楽産業の復興はなかったのである。

レスポールはその名を冠したギターだけでなく、その音楽性においても多大なる影響を多くのミュージシャンに与えた。否、彼はミュージシャンという範疇に治まらないアーティストであり、発明家である。それはまるでルネサンスにおけるレオナルドダヴィンチの如く、ITにおけるスティーブジョブスの如くであった。

レス・ポールは93歳になってもニューヨークのJAZZクラブで毎週月曜日にステージにあがっていたが、2009年8月13日、肺炎によりニューヨークの病院にて94歳で死去。

今後彼のような偉大なアーティストが出てくるかどうか。不世出の巨人といっても過言ではないであろう。

2013年8月18日日曜日

グーグル

グーグルのもつインターネットへの影響力がよくわかる出来事が起こった。
8月17日、グーグルの提供するサービスが世界的に数分間停止した。その影響で、世界のトラフィックが40%減少したと報告された。

グーグルが約2分間停止しただけで、世界のネット・トラフィックが40%減少したのだ。
8月17日の23時52分(英国時間)に始まったこの出来事は、YouTubeやGmailなど、グーグルが提供するすべてのサービスに影響した。1~5分間の停止のあと、23時57分までには接続が回復した。

ウェブ分析のGoSquared社によると、これによりページビューがおよそ40%と大きく減少したらしい。
グーグルは今回の問題に関してコメントしていないが、同社のAppsステータスダッシュボードにはサーヴィス停止のメッセージが掲示されている(日本語サイトでは17日午前8時37分に表示)。

11分後には、障害が解決したというメッセージとともに、「太平洋夏時間の15時51分と15時52分の間、グーグルへのリクエストの50~70%がエラーを受け取った。サービスは1分後には大半が復旧し、4分後には完全に復旧した」と説明している。

2012年11月にも、世界各地においてグーグルが提供するサーヴィスが6分間停止。全ユーザーの10%に影響した。

ネットを利用しているユーザーで、グーグルの提供するサービスを全く利用したことがない人はいないであろう。ネット利用に関してPCだけでなくスマートフォンを含めると、恐らく全ての人がグーグルのサービスを現在も利用しているに違いない。

アップルやマイクロソフト、インテル抜きにPCが成り立たないように、グーグル抜きにネットは成り立たなくなっているようだ。

改めて思い知らせられたニュースであった。

2013年7月30日火曜日

「棋士」と「女流棋士」

将棋の女流名人など4つの女流タイトルを持ち、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関「奨励会」の初段でもある里見香奈さん(21)が29日、大阪市の関西将棋会館で行われた関西奨励会の対局で2連勝し、直近の成績が昇段規定の12勝4敗を満たして二段への昇段を決めた。

女性の奨励会員が二段に進んだのは初めて。里見さんは会見で「少し時間がかかってしまいましたが、(二段に)上がることができてほっとしています」と安堵(あんど)の表情を浮かべたとのこと。

将棋には四段以上の「棋士」と、女流棋戦に参加する「女流棋士」の2つのプロ制度がある。これまで棋士となった女性はおらず、里見さんは女流棋戦に参加する傍ら、女性初の棋士を目指して平成23年5月、奨励会に1級で編入。24年1月に女性初の初段となった。
里見さんは島根県出身で、16年に女流棋士としてデビュー。今年5月に史上初の女流5冠を達成した。

「女流棋士」と「棋士」が違うと言うことを初めて知った。つまりこれまでは女流棋士と羽生善治とはレベルが違いすぎて対戦できなかったのだ。

将棋や囲碁の世界は、数少ない男女平等の世界であると思う。男女の違いだけでなく年齢の違いも関係ない。強ければ若くても段が上がることが出来る。

そういう世界でも今まで「女流棋士」でなく女性の「棋士」はいなかったということは、頭脳に関しても男性が女性より優位ということなのだろうか。
いやいや一概にはそうはいえまい。というのも将棋では長考がある。身体を動かすことはないにしてもフルに頭脳を回転させるためには体力が必要だ。体力という面では、男性の方が女性より有利であることは間違いない。

将棋の棋士という凡人では想像も出来ない世界では、体力が頭脳の一部となるのかもしれない。どちらにしても興味深いことだ。

2013年6月21日金曜日

ブラジルサッカー

来年のW杯のプレ大会であるコンフェデ杯開催中に勢いを増す反政府デモ。サッカーはブラジルの国技とも言えるスポーツだったのではないだろうか?
それなのにサッカーW杯の開催に反対するとも言えるデモが行われている。不思議だ。そこで調べてみた。すると以前と違ったブラジルの内情が分かった。

以前は才能のある子供達のうち、経済的に恵まれている子供はF1ドライバーを目指し、恵まれない子供達はサッカー選手を目指すと言われていた。

そのF1ドライバーの代表が故アイルトンセナであり、サッカー選手の代表がサッカーの神様といわれるペレであり、スラム街出身選手のロナウドやアドリアーノであった。

だが、中国やロシアなどとともに新興5カ国(BRICS)の一角として経済発展を果たし、中産階級が増えた今は違う。用具は簡単に手に入り、才能を見いだされれば、母国の代表で活躍する前でも国内外のプロクラブの下部組織でエリート教育を受けられる。
南米最大規模のスラム街があるリオデジャネイロのロシーニャ地区にさえ、芝生のグラウンドがつくられ、子供たちがまっさらなユニホームとスパイクを身につけて、ボールを追いかける姿が見られる。
すなわち、経済的に裕福でなければサッカーのエリートコースに乗ることは難しくなっていると言うことらしい。

ブラジルで過熱するデモが示すのは、国の経済成長に伴い国民が夢を託すスポーツではなくなってきているという現実だ。
同国サッカー連盟会長のホセ・マリア・マリン氏(81)は「ブラジル人は生まれたときから、サッカーとともに生きている。医者や弁護士などのキャリアというが、ブラジルではサッカーを練習することがキャリアだ」という。

コンフェデレーションズ杯でMVPに選ばれたネイマールも、幼年時代は経済的に不遇であったらしいが、そのサッカーの才能によって14歳くらいからサッカーによる収入があり、一家を養うのに十分だったらしい。

ネイマールほどの才能があれば、家庭の経済状況はあまり関係ないようだが、そうでなければサッカーの才能を伸ばすためにもある程度恵まれた家庭環境が必要なのだろう。
ブラジルの経済発展に伴い、ブラジリアンドリームというべきサッカーでの成功物語も変化しているらしい。

2013年6月16日日曜日

AKB48選抜総選挙

第5回AKB48選抜総選挙で、HKT48の指原莉乃(20)が史上最高の15万570票を獲得し初の「女王」となったことが大きな話題となった。これに関して非常に興味深い記事があったので紹介したい。

それは指原の票獲得に永田町が動いたというものである。
指原の応援に、指原の地元の大分市釘宮(くぎみや)磐(ばん)市長(65)が全面支援を宣言していた。
そして釘宮氏が国会議員時代から「政治の師」と仰ぐ羽田孜元首相(77)サイドも釘宮氏の要請を受けて指原を全面支援した。
そして「羽田-釘宮ライン」が行ったのが、羽田氏サイドと釘宮氏が信奉してきた羽田氏の「師匠」である田中角栄流選挙手法。ロッキード事件で実刑判決を受けた直後でありながらも22万票という最多得票数で当選したあの角栄流選挙手法である。

言うまでもなく指原本人が個別訪問したわけではない。しかし指原に代わって羽田氏サイドは1カ月間以上、知人はじめ会う人会う人に指原さんをよろしくお願いしますと頭を下げ続けた。フェースブックでも支持を呼びかけた。これが効いた。波及効果で、ざっと最低2万人に声をかけた計算になるらしい。AKBのほかのどのメンバーもそんな手法はとらなかったはず。勝つためには空中戦だけでなく、「どぶ板」と言われるような角栄流選挙だったようだ。
その結果、指原は空前の「15万票超」を獲得した。

たとえAKB総選挙といっても、長年“本物”の選挙をこなしてきたプロが真剣に取り組めば負けない。選挙に人生がかかっている政治家のすごさの一面を感じた思いがした。

また今回の選抜総選挙は別の側面からも注目を集めた。選抜総選挙では投票受け付け開始翌日の5月22日、速報結果を公表した(選抜総選挙の投票期間は5月21日~6月7日)。過去の選抜総選挙での速報段階の票数と最終結果の増減率を分析した上で、今回の速報値から最終的に指原さんが1位と予想、的中させた大学教授も現れた。統計学としても興味のわく題材だったのだろう。

これは最近流行のビッグデータの活用にも通じる。ビッグデータとは、フェイスブックやツイッターなどのSNSを含めインターネット上の膨大な情報を収集、分析することでビジネスなどに生かすというもの。このビッグデータが今、夏の参院選を控えた永田町でも注目を集めている。

ビッグデータで世論の動向を読み取り、情勢分析や候補者の的確な演説の材料としたり、特定の言葉を設定した上で検索すれば、誹謗中傷を発見することにもつながる。インターネットを使った選挙運動が参院選から解禁されるのを受け、選挙期間中も活用しようと主要政党はネット監視チームを設置して目を光らせる態勢をとろうとしている。

夏の参院選を控えて、今回のAKB48選抜総選挙は良いリハーサルになったようだ。
まったくAKBは日本の政治にも影響を及ぼし始めているらしい。

2013年6月13日木曜日

性善説

人間の本性は「善」であるのか、あるいは「悪」であるのか。いわゆる「性善説」と「性悪説」の議論は永遠の続くように思える。しかしこれに対して科学的検証が入ったようだ。

京都大学大学院の鹿子木康弘特定助教らの研究グループが発表したもので、内容は次の通り。

研究グループは、ある図形が別の図形を攻撃していじめている様子をアニメ-ションで描き、生後10ヶ月の赤ちゃん20人に見せた。このあと、同じ赤ちゃんにアニメーションと同じ図形を選ばせたところ、80%に当たる16人がいじめられた側の図形を選んだということだ。
研究グループでは、弱く苦しい立場の側に同情的な態度を示した結果と解釈できるとしている。グループでは、大人を対象に同じような実験を進めていて、大人では、いじめられた側に同情する割合が少なくなる傾向があるということで、鹿子木特定助教は「人は本来は善人である可能性を示唆している」と説明している。

このニュースを見てあることを思い出した。それはNKHスペシャル「鯨対シャチ」のワンシーンだ。それは次のような内容だった。

北米アラスカ沖に浮かぶアリューシャン列島。世界一と言われる豊穣の海だ。
春、メキシコ沖からクジラ親子が北上してくる。その幼いクジラを狙って続々と集まる総勢200頭ものシャチ軍団。最強ハンターは見事なチームワークでクジラに攻撃を仕掛ける。
そのアリューシャン列島のユニマック海峡で母鯨とはぐれたコククジラの仔がいた。
何十キロも離れた場所にいる標的も見つけ出す事の出来るシャチは当然の様に攻撃を開始。強烈な体当たり、のしかかり、尻尾に噛み付いて海底へ引きずり混む。仔鯨は絶体絶命だ。その時、突如としてコククジラとは別種であるザトウクジラの群れが現れ、大きな唸り声を上げながらシャチの群れに突進。
テールスラップ、ペックスラップ等(尾びれや胸びれを海面に叩きつける行動)でシャチを攻撃した。
ザトウクジラは世界で一番大きな腕を持つ生物。その胸びれ(前足)は5mにも達し、重さは500kgもある。それをシャチの頭を狙って振り下ろす。いくら海の王者シャチでも直撃したら致命傷になる。ザトウクジラはシャチたちをみごと撃退。コククジラの仔は無事にベーリング海に入る事が出来た。

ザトウクジラのこの行動は最近発見されたらしく、アシカなどの海獣類を助けていた事例もあるらしい。ザトウクジラはなぜ別種の生物を助けるのか、同種や肉親以外の生物の生命を守るという行動は生物界では殆ど無いことで、これはまだ謎だそうだ
つまり鯨も、本質的に弱く苦しい立場の側に同情的な態度を示したということだろう。

本質的に善であっても、その後の環境によって悪にもなりうる。本能で生きている動物は善が悪に変わることは無いだろうが、人間の場合は変わる場合が多々ある。
結局のところ、自分の意志が大きな意味を持つのかもしれない。

2013年5月28日火曜日

カンヌ国際映画祭

フランスで開催されていたカンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督・脚本の「そして父になる」が審査員賞を受賞した。
コンペ部門は、米アカデミー賞を受賞したコーエン兄弟、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した中国のジャ・ジャンクーら実績抜群の監督作品が多数を占めたが、その中での是枝作品の受賞は実力のほどをあらためて知らしめたといえる。是枝監督は04年の同映画祭に出品した「誰も知らない」で、当時14歳だった柳楽優弥に史上最年少で日本人初の男優賞をもたらした。今回は自信が栄誉に浴した。
社会問題を家族に絡ませるのはカンヌの一つの傾向だが、赤ん坊の取り違えを題材に二つの家族がもつれる姿を描いた是枝作品は、その流れに合っていたともいえるかもしれない。

世界三大映画祭は国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭の3つを指す。

映画祭というとアカデミー賞が有名だが、アカデミー賞は基本的にアメリカ映画を対象とした映画賞であり、作品の選考対象も「1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品」と比較的狭義である(ノミネート条件はこの他にも詳細が決まっている)。
しかし、その知名度と権威は国際映画祭の各賞以上にマーケットへの影響力は大きく、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与える。このため「映画界最高の栄誉」と評されることが多い。
しかしアカデミー賞はハリウッドの映画関係者が選考を行うことから、各賞の選出についてはアメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれない。例えばカンヌ国際映画祭などの著名な国際映画祭で大賞を受賞した作品が、アカデミー賞ではノミネートもされないことが多いのは有名である。また、「英語以外の外国語映画には作品賞を与えない」とか「死者には賞は与えない」といったアカデミー賞独特の不文律などもあると言われている。

よって中にはアカデミー賞よりも三大映画祭の結果を重要と説く映画評論家もいる。「そして父になる」は日本映画のため、アカデミー賞作品賞にはノミネートされないから、そう言う意味でも今回の受賞は素晴らしい結果だと感じた。

2013年5月24日金曜日

コンペ

ニュースで初めて知ったが、AKB48の作曲はコンペ方式で作ってるらしい(作詞はもちろん秋元康)。

コンペとは一定の条件等に基づいて公開、非公開で行われ、複数の審査員により採点される。コンペティション【competition】の略で和製英語。競争、競技、競技会とも訳される。

AKBの曲を作っているのはある程度有名な作曲者だと思っていたので驚いた。まあ確かにコンペ方式だと、今までの実績など関係なく単純に曲の出来不出来によって決まるため、無名の作曲者にとっては大きな機会になる。幅広い門戸が広がっているということだ。
しかしそのために作詞家であり総合プロデューサーの秋元康は1曲決めるため1000曲以上の候補を聞くらしい。

一部にはコンペ方式では、アーティストをはじめ職業的な作曲家や作詞家を育てないのではないかとか、かつてのような練りに練られた名曲が誕生しにくい環境にあるのではないか、など批判的な意見もあるらしい。

色んな意見はあるにせよ、新しい方式にはメリットもありデメリットもあるのは当然。最も重要なのは選択肢が増えるということ。今までのやり方と新しいコンペ方式のどちらを選ぶかはその時に選べば良い。

このようにコンペ方式が普及してきている背景には、DTM(ディスクトップミュージック)の影響も大きいだろう。高機能の機材が一般の人にも入手しやすくなってきたということだ。それによってアマチュアでも自分一人でかなりレベルの高いデモ曲が作れる。作品のクオリティは違うにしても、録音技術に関してはプロもアマも無いのが現状だ。
そう考えると、自信がある作品が出来たらそれを誰かに評価してもらいたいと考えるのが普通だろうし、それがもしAKBの楽曲として採用してもらえたらどれだけの喜びになるか。

どちらにしても、曲作りの分野においても様々な進歩があることは大切なことであるし20年前と全く変わらない方法しかないということであれば、それが問題なのかも知れない。

2013年5月14日火曜日

昆虫食

国連食糧農業機関(FAO)は13日、世界の食糧問題に対処するために昆虫類の活用を勧める報告書を発表した。食用として栄養価が高いほか環境に優しい家畜飼料用などとしてなどと更なる可能性を秘めているとしている。
報告書によると、世界では少なくとも20億人が甲虫やハチ、バッタなど約1900種類の昆虫を伝統食としている。鉄分などの栄養が牛肉より豊富なものがあり、採集や飼育を産業化すれば雇用や収入を生み出す可能性もある。
また家畜の飼料に昆虫を活用することで、飼料用の魚類をヒトの消費に回すこともできると指摘。昆虫は飼育に際し、メタンなど温暖化ガスをほとんど出さないため、環境破壊にもつながらないとしている。

なるほどね~。確かに日本でも海に面していない地域特に山中の地域では蜂の子などをタンパク質として食しているところも多い。魚が捕れないところでは、タンパク質としては動物があるが、育てるのに時間がかかる。それに比較して昆虫では入手しやすく生育も早い。考えてみれば利点はたくさんあるな。

イギリスの食品安全管理局によるとバッタは20パーセントのタンパク質を含むのに対し脂肪分はたったの6パーセント。一方、牛肉に含まれるタンパク質は24パーセントだが脂肪分も18パーセントと高い。昆虫は高タンパク低脂肪の食物らしい。しかも昆虫の場合、家畜と比べ飼育の際に放出される温室効果ガスも圧倒的に少なく、飼料もそれほどかからない。まさに、栄養、コストパフォーマンス、環境対策と三拍子そろった願ってもないほどの生物資源と言える。

しかし大きな問題として、「虫嫌い」がある。近年は年齢性別に関わらず、虫嫌い人口が増加している。現代は大部分の人口が高気密住宅に住み、虫に触れる機会が少ないためと考えられている。このような人たちは昆虫を食することはできないだろう。

でもこれも考え方かも知れない。たとえば「牛タン」。好きな人は多いが、それは薄くスライスされた状態での話。店によっては、牛タンがそのままの状態(つまり牛の舌)が売られている。それをみて美味しそうと思うひとは少ないだろう。
これと同じように昆虫もそのままの形だから食するのは難しいだろうから、ミンチにするとか形が分からない状態で加工したのであれば食することはできるのではないだろうか。

まあ「虫」をヒトが食べることよりも、報告書にあるように家畜などの飼料に使って、余った分をヒトの食料に当てるというやり方がまずは実際的かも知れない。

これからは虫も食料として真剣に考える時代が来ていると感じた。そのうちにスーパーで肉・野菜・魚などと共に「虫」のコーナーが出来るかも知れない。ど~かな~。

2013年5月7日火曜日

国民栄誉賞

5日東京ドームで、長嶋茂雄氏及び松井秀喜氏に対する国民栄誉賞の表彰式が行われた。

長嶋茂雄氏は闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さにより、プロ野球史上に数々の輝かしい功績を残し、多くの国民から誰からも愛される野球界の「国民的スター」として、野球界の発展に極めて顕著な貢献をされるとともに、国民に深い感動と、社会に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由。
松井秀喜氏は、野球界において、ひたむきな努力と真摯なプレイにより、日米両国を舞台にした世界的な功績と、新たな足跡を残すとともに、日米両国の多くの国民から愛され、親しまれ、その数々の輝かしい活躍は、社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由となった。

国民栄誉賞は、昭和52年8月に創設されている。
1977年(昭和52年)、当時の内閣総理大臣・福田赳夫が、本塁打世界記録を達成したプロ野球選手・王貞治氏を称えるために創設したのが始まりである。背景には、先に設置されていた内閣総理大臣顕彰が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった。また王氏は叙勲には若過ぎたという事もあり、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが国民栄誉賞である。
その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」であり、かなり幅広い解釈が可能である。日本国籍は要件にない。また公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だという。

プロ野球界で受賞したのは2名。本塁打世界記録を達成した王貞治氏と、連続試合出場世界新記録を達成した衣笠祥雄氏。
前述の2名は記録を残したのに対して、長島・松井の両氏は記憶に残る選手として表彰されたことになる。そしてONが共に国民栄誉賞を受賞した。

国民栄誉賞授賞式に続く、始球式では長島氏は背番号「3」のユニホームを袖に通し、打席に立った。1974年10月14日の現役引退以来である。
ピッチャーは松井氏。キャッチャーは巨人原監督。審判の位置に背番号「96」のユニフォームを着た安倍総理大臣という布陣だった。

そして長嶋氏は“本気”だった。長島氏曰く、打席に立ったら闘志に火がついたらしい。ところが、松井氏が投じたボールは頭をかすめるような内角高め。左手で握られた長嶋氏のバットは空を切った。

長島氏は皆が知っているように、脳卒中で倒れ現在リハビリ中である(本人はトレーニングと呼んでいるらしい)。通常であれば、肉体と共に気力も衰えているはずである。それなのに打席に立った長島氏は闘志を燃やし、不自由な身体にもかかわらずボールを打ちにいった。なんという精神力なんだろう。
今回長島氏は受賞スピーチを行った。伝え聞いた話によると、長島氏の病状からしてあれだけの回復を見せたことはものすごいことらしい。彼のトレーニング(リハビリ)の過酷さが伺える。そしてそのことは同じ病状でリハビリに励む患者さん達の励みになっているらしい。これもまたスゴイことだ。

「燃える男」長嶋茂雄は、気力は現役と同じだったのだろう。現役時代に敬遠のボールを打ってヒットにしたこともある長島氏にとって、今回の松井氏のボールも彼にとっては打てないボールではなかったのかも知れない。改めて彼の偉大さを感じた瞬間であった。

しかし、通常空振りするはずの始球式のボールを、長島氏が打ちにきたのだからみんな驚いた。しかも後ろには何の防具も着けていない安倍首相。万が一にでもファールチップがそれて総理大臣に当たったら大変だ。最も肝が冷えたのはキャッチャー役の原監督だったにちがいない。

2013年5月6日月曜日

祭り

5日に東日本大震災の発生直後に断水するなか、地域住民の暮らしを支えた神社の湧き水に感謝する集いが、宮城県石巻市で開かれた。
石巻市の垂水明神社は、震災の津波で大きな被害を受けた渡波地区の内陸部にあり近くの住民は、水道が復旧するまでのおよそ1か月の間、神社の敷地内に湧き出る水で生活を続けた。5日は、この湧き水に感謝しようと住民およそ100人が集まって感謝の集いを開き、地元に伝わる伝統の獅子舞が奉納された。

この話を聞いたとき、祭りの原風景を見た気がした。多分各地に残る祭りの始まりは何処もこのような感じだったんだろう。
もともと、祭りの語源は、元々は神事において神様に仕え祀る(祭祀の意)や、神様に供え奉る(奉納の意)からくる「祀り」や「奉り」が変化したもので、本来の意味は神様と人との交流の場として神様をお招きして饗応(きょうおう)接待をすることであった。それがいつしか神様に豊作や豊漁・豊猟を祈願することに変わり、その祈願成就のお礼や感謝の気持ちを表わす形として祭りという行事が生れてきた。雨乞いをしたり、豊年を祈願したり、感謝したりなど自然への畏敬の念から始まっているのだろう。そして後世へ伝え続けなければならない事象が起こった際、「祭り」という手段をとる場合もあったに違いない。

今回は名前も無い集いだったが、毎年続いて「祭り」として成立し、その「祭り」を保存していって欲しいと願う。
これにより、東日本大震災を忘れることなく、また神社の湧き水の大切さを後年に伝えていって、将来もし同じような災害が起こった場合には役立ててもらいたい。
東北には過去の津波災害から生まれた教訓があちこちに残っている。今回のニュースを見て、また新しい伝承が生まれるのだろうと感じた。
自然災害は人間の力で発生を抑えることは難しい。祭りという形で自然を敬い自然と共存できることが出来ることを望みたい。

2013年5月2日木曜日

少年と原子

米IBMが1日、分子一つひとつを動かして作ったパラパラアニメーションを発表した。男の子がボール(原子)と戯れる様子を描いた約1分のストーリー。ギネスワールドレコーズ社が「世界最小のパラパラアニメ」と認定した。

研究チームは、銅板の上に一酸化炭素の分子を置き、絶対零度近くまで冷やして動きを止めた。そして走査トンネル顕微鏡(STM)と呼ばれる装置で少しずつ動かして、一コマずつ撮影。242コマをつないで「少年と原子」と題する作品を完成させた。一コマの実寸は10万分の4ミリほどしかない

ムービーの制作に使用された走査トンネル顕微鏡(STM)はIBMが開発した物質の表面の電子状態や構造を原子レベルで観測する顕微鏡。
この顕微鏡は1981年にIBM研究所で発明された。非常に鋭く尖った探針を導電性の物質の表面または表面上の吸着分子に近づけ、流れるトンネル電流から表面の原子レベルの電子状態、構造など観測する。また、針先の電圧で物質表面の原子をくっつけたりはじき飛ばしたりして原子を移動させる

1989年9月28日にIBM社の物理学者Don Eigler氏が個々の原子を操作、配置することに世界で初めて成功。その2カ月後には、35個のキセノン原子を配置して「IBM」の文字をつづることに成功した。この3文字をつづるのに約22時間を要したが、現在では同じ作業が約15分でできる。

原子で文字を書くことが出来るのは上記ニュースから知っていたが、まさかこの技術でアニメーションを作るとは思わなかった。その動画はネットでアップされているので観ることが出来るが、非常に出来が良く、原子で作れれていると言わなければ分からないレベルだ。
作品は原子で作られた「少年」と一個の「原子」が仲良くなり、楽しく遊ぶ様子が描かれている。少年と原子は、踊ったり、キャッチボールをしたり、トランポリンの上を跳ねたりする。描かれている「原子」は本物の原子であり、「少年」も原子から作られている。実際の人間ももちろん原子で構成されている。そう考えると非常に感慨深い。

このアニメーションは、大げさな言い方をすると先端科学と芸術の融合だ。基本的に科学と芸術は相容れない部分も多い。科学とは文明であり芸術は文化であるからだ。
一般の人間には作ることは非常に難しいこのアニメーションであるが、文明と文化が融合できることを端的に表した素晴らしい作品であると思う。

2013年4月30日火曜日

エージシュート

エージシュート(Age-Shooting)は、ゴルフの1ラウンド(18ホール)ストロークプレイを、自身の年齢以下の打数でホールアウトすること。

ゴルフ用語はいろいろ知っていたつもりだったが「エージシュート」というのがあるとは知らなかった。当然のことながら、30歳代や40歳代のプレーヤーがエージシュートを達成することは現実的には不可能である。可能性があるとすれば60代後半以後のシニア選手ということになる。
日本のツアー最少記録は石川遼が2010年の中日クラウンズでマークした58。即ち単純計算でエージシュートを達成するには最低でも58歳以上でなければならない。

そんな困難な記録を66歳の尾崎将司が前人未到の記録を打ち立てた。1イーグル、9バーディー、2ボギーのコースレコードタイとなる62で回り、年齢以下のスコアでラウンドする「エージシュート」を達成した。国内男子レギュラーツアーでのエージシュートは史上初の快挙。

世界最年少のエージシュート記録は、1975年にアメリカ人プロのボブ・ハミルトン(当時59歳)が達成した「59」。アメリカPGAツアーでは、1979年のクアッド・シティーズ・オープンで、サム・スニード(当時67歳)が達成した「67」が最年少である(この時スニードは、その翌日にも「66」をマークしている)。59歳でスコア59というのはすごいな。

厚生労働省によると2010年の日本人の平均寿命は男性79.55歳、女性86.30歳である一方、健康寿命、即ち自立した生活ができる期間は平均で男性が70.42歳、女性が73.62歳となっている。
人は年齢と共に体力の低下は避けられない。しかしゴルフは筋力の低下による飛距離の減少等も、技術でカバーできるスポーツだろう。そのためシニアツアーというプロゴルフの満50歳以上の選手によるトーナメントもある。さらには最近の医療技術の発達や栄養学の進化等により以前よりも高齢者の体力は向上している。そのため80歳を越えても元気なら、多くのゴルファーにとってエージシュートは決して達成できない目標ではないので定年後からゴルフの腕を磨いても決して不可能ではないだろう。

ゴルフを始める年齢はまちまちのようで、早い人は20代、環境によっては10代から始める人もいれば、50代、60代から始める人もいる。最近の技術の進歩によって、それぞれの年齢にあわせて用具をそろえることも可能だ。そのようなゴルファーにとって、第一の勲章はホールインワン。そして、いままでエージシュートという名を知らなかった人たちも、今回のジャンボ尾崎の達成によって浸透するだろう。そうなると、ある程度の年齢を経た人たちにとって、ある程度の年齢が必要となるエージシュートは新しい勲章となるかも知れない。ゴルファーの目標がまた一つ増えたかも知れない。

2013年4月29日月曜日

「天城越え」

石川が歌う吉岡治作品の代表作で男女の激しい恋、女の情念を歌う「天城越え」。ご存じ石川さゆりの代表曲の一つである。

しかし最初に詩を見たとき石川は思わず「こんな曲歌えないです」と言ったそうだ。
「あなたを殺していいですか」など激しい歌詞に戸惑ったらしい。

しかしなぜ「天城越え」は大ヒットし、今でもファンを増やし続けているのか?
やはりその魅力は歌詞にあると思う。前述の「あなたを殺していいですか」は激しい女性の情念を端的に表現する歌詞だ。

それまでの演歌では、歌われる女性は激しい情念を持っていてもそれを決して表に出さず、じっと耐えて男を待つ女性像が多かったように思う。
それに対して「天城越え」では、激しい情念をストレートに表現してる。それが昭和から平成に向かう世で、新しい女性像として受け入れられたのではないだろうか。

そして石川はあるインタビューでこのように答えていた。
「この曲の女性は私とは全く違っていました。今まで歌ってきた歌の中の女性はの経験を通して歌うことが出来ましたが、、この曲ではどう歌えばいいか非常に迷ってしまったのです。結局、演技をすることにしました。すなわち歌の女性像を自分なりに作り上げ、その女性になりきり思いっきり演じて歌うことにしたのです。」
石川が作り上げた「天城越え」の女性像は、つまり一種のアバターだったのだろう。そしてその曲を聴くオーディエンスも自分のアバターを作り感情移入していった。それが大ヒットのつながったと思った。

一つのエピソードがある。この「天城越え」をメジャーリーガーのイチローが2008年、打席に入るときのテーマ曲に選んだ。
「津軽海峡・冬景色」を紅白歌合戦で見て、年明けに兵庫県で開いたコンサートにイチローが足を運んだ。そうしたら「天城越え、かっこいい!」と感じたらしく、テーマ曲にしたいと思ったようだ。いろいろな記録超えがかかっている時期で心に期するものがあったらしい。早速「楽曲を使わせてほしい」と石川に依頼したそうだ。

アメリカで活躍する日本のサムライにエールを送りたいという思いから、音源は石川からプレゼントすることにしたらしい。ところが送ったら「大変恐縮ですが、これでは打席に立てません」と言ってきた。
「打席に立ったとき、よし行くぞという気持ちになれる、肌に浸透する感じ、もっと地鳴りのするものが欲しい」と説明されて音を作り直した。
ある程度出来上がった時期、ちょうど明治座(東京都中央区)で公演中だったのでスタジアムで鳴らすことを考え、広い所で聴いてみたいと終了後に音をガンガン鳴らしてチェックした。その後イチローに送ってそしてOKをもらった。

野球と石川のいるエンターテインメントの世界は分野こそ違うけれど、イチローの気持ちは石川に伝わったようだ。
わざわざ作った音源に注文をつけたイチローに、その思いを汲んで自分の公演終了後に実際に近い状況でチェックをした石川。お互いがそれぞれのプロフェッショナル。それぞれがそれぞれの思いで最高のパフォーマンスを行う。

このエピソードを知ったとき「天城越え」の魅力がまた増した気がした。

2013年4月23日火曜日

電王戦

将棋電王戦が開催され、初めてコンピュータが現役棋士に勝利した。

電王戦とは、コンピュータと棋士の対戦で第1回電王戦は、2012年に米長邦雄永世棋聖とコンピュータ将棋プログラムのボンクラーズによって行われた。
第2回は、2013年3月23日から5週にわたって、プロ棋士5人とコンピュータ5ソフトの団体戦が行われ、棋士側は1勝3敗1分けで終わった。

しかし対戦した将棋パソコンソフトも様々である。今回の5つのソフトは世界コンピュータ将棋選手権で1位から5位までのソフトであったが、アマチュアの方が作ったソフトもあれば東京大学の研究室が作ったソフトもある。

そもそも、最終戦で勝利した「GPS将棋」は679台によるクラスター処理を行い、1秒間に2億5千万手を読むらしい。
つまり棋士1人対コンピュータ679台というわけだ。これはあまりにも棋士側にとって不利だろう。話によると「GPS将棋」1台のみでの運用ではアマチュア棋士の有段者でも勝てる場合があるそうだ。
もし今後も電王戦を行うとすれば、棋士とコンピュータソフトがある程度対等な条件で対戦すべきだと考える。

今回の棋士側の敗戦を棋士にとって屈辱であると評したメディアもあったが、自分はそうは思わない。

将棋は概して好手を指した方が勝つというより、悪手を指した方が負けるといわれる。人間同士では好手と悪手が繰り返される。ところがコンピュータ相手だとそうはいかない。は悪手を指すと、容赦なく正確無比に突いてくる。そこには人対人での駆け引きなどは存在しない。
特に持ち時間が少なくなると、俄然コンピュータが優位になる。なにせ1秒間に2億5千万手を読むのだから短時間の判断では人間は到底叶わない。

今回の対戦、コンピュータ側には棋士相手に強さを証明できて得るものが多かったが、棋士側にとって何の意味があったのか。マスコミを初め世間の興味が高まったためその要望に応えるために対戦したのだろうが、本来の人間力や個性のぶつかり合いである将棋の面白さを広めることに貢献したとは言い難い。もっと将棋を通じた人間と人間が織りなす感動や勝負の面白さなどを広めることに努力してもらいたい。

一方コンピュータに関しては、将棋にかかわらず人間を超える性能を持っていることは誰もが分かっている。しかし、そのコンピュータの能力を持ってしても自然相手には常にその全てを把握できているとは誰も思っていない。たとえば地震がそうである。以前より地震の予知を科学者達は行っているが、近年の目覚ましいコンピュータ技術の発展も完全な地震予知には至っていない。何台のコンピュータをつなげてクラスター処理を行っても良いから災害の予知に大きな成果を挙げてもらいたいと切に願う。

2013年4月20日土曜日

「ミクロの決死圏」

先日 「ミクロの決死圏」を観た。以前より興味があった映画だった。
10年以上前にスピルバーグがリメイクした「インナースペース」を観た。これはなかなか面白い映画だったし、その元になった「ミクロの決死圏」という映画の存在を知って一度観てみたいとずっと思っていた。

「ミクロの決死圏」は1966年のアメリカのSF映画。当時SFといえば宇宙と相場が決まっていたのが、人間の身体を舞台にした作品とて興味深い作品である。

宇宙の神秘のように、我々人間の身体も長い年月をかけて進歩してきた高度な生体反応を持っている。それをわかりやすく表現していた。
メインとなる人体の内部表現は写実的というよりは、ファンタジータッチな印象を受ける構成となっている。

ストーリーとしてはスパイアクション仕立ての導入部、潜航艇内で何者かによる妨害工作が続きチーム内に敵のスパイがいるのではないかと互いに疑心暗鬼になる密室劇的要素、次々と起こる不測の事態の克服といったサスペンス要素など幅広い要素を散りばめた作品であった。

また一方で、将来の医療・科学の進歩を予想して当時研究されていた技術やアイデアを作品内に取り入れており、例えばレーザーによる縫合など、映画に登場したものとは方向性が大きく違うにせよ、後年に実現、発展した例も見受けられる。また、言うまでも無い事だが、「軍事作戦」としての「Operation(作戦)」と、「外科手術」としての「Operation(手術)」を掛けてあり、オペレーション・ルームから軍医たちによるモニターのもと、この「作戦(手術)」は進行される。この技術が確立されると、「数個師団をポケットに入れて持ち運べる」とか、「微細手術」を行なうプローブとなる潜航艇の、「縮小手続き」の丁寧な描写に、西洋近代科学技術のもつ「スケール感(観)」が、象徴的に言及されており、この映画の「科学教育効果」にも大変高いものがある。

本作は人体内部の造形や、その中を潜航艇で航行する特撮で、アカデミー美術賞および視覚効果賞を受賞した。その他、撮影賞・音響賞・編集賞にもノミネートされている。


「ミクロの決死圏」に倣いスティーヴン・スピルバーグが製作し、「ミクロの決死圏」のリメイク版とされるのが「インナースペース」。
監督:ジョー・ダンテ、製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。ワーナー・ブラザーズ配給作品である。
体内での冒険をメインで扱った名作「ミクロの決死圏」とはアプローチを変え、重点は体内に入ったパイロット、デニス・クエイドの指示に従って地上での大冒険を展開するマーティン・ショートの方に置かれている。

またデニス・クエイドが恋人(メグ・ライアン)の体内で自分の赤ん坊(胎児)を見つけるシーンは感動的である。

「ミクロの決死圏」にコメディー的センスを加えて、単純に楽しめる映画となっていて面白かった。こちらはまた観てみたいな。








2013年4月18日木曜日

ジャッキー・チェン

ジャッキー・チェンの最後のアクション映画「ライジング・ドラゴン」が公開される。

ブルースリーが切り開いたカンフー映画。そのブルースリーが急逝して後継者が長い間待たれた。そしてジャッキーチェンが現れた。
しかしそのスタイルはブルースリーとは大きく違っていた。殺気を前面に出しワザを繰り出すブルースリーに対して、ジャッキーのそれは時にはダンスのように時にはコミカルに繰り出していった。それはブルースリーのベースが格闘家であったのに対して、ジャッキーが京劇出身のスタントマンがベースとしてあったのがあると思われる。

ブルースリーがカンフーアクションに重きを置いたのに対して、ジャッキーは常にスタントに重きを置いた。CG全盛期の現在、時には大けがをして生死が危ぶまれることさえ合った。
「ポリス・ストーリー香港国際警察」では電飾ポールをすべり落ちるシーンで、第七・八脊椎の骨折により半身不随寸前の骨盤の脱臼を負い、「サンダーアーム龍兄虎弟」では木から木へ飛び移るシーンで落下し頭蓋骨を骨折、頭にプラスチックを埋め込む怪我を負った。

リーは初監督作品「最後のブルース・リー/ドラゴンへの道」(1972年作品)で、ローマのコロシアムを舞台にチャック・ノリスと互いに秘術を尽くして闘う“パンクラチオン・ファイト”を披露するなど、その主演作群において自らが創造した武道である截拳道(ジークンドー)を常に全面に押し出す事で、自身が武道家である事を観客に対して強くアピールしていた。
逆に、ジャッキーはそのコミカルかつ俊敏なアクションと共に、中国武術を銀幕上で様々な形で披露する技術に秀でていながらも、その映画人としてのスタンスはあくまでも“アクション俳優”であった。私たちはこれまでこの武打星としてスタンス&スタイルの異なる2人の偉大なドラゴンたちの主演作品を観続ける事で、香港クンフー映画というジャンルの持つ多種多様な魅力をより深く理解し、また愛し続ける事が出来たのである。
ブルース・リーを香港映画が世界マーケットへと進出する扉を開いた功労者にして“真正の武道家”とするならば、ジャッキー・チェンは香港映画の魅力を世界中のファンに知らしめた伝道師であり、永遠の“アクション・ガイ”なのだ。そして私たちは、今回この2人の伝説的なドラゴンが残してくれた数々の主演作品を感謝を持って受け取る必要があると痛感する。

そのジャッキーチェンが「ライジング・ドラゴン」をもってアクションスターから引退する。
「これ以上、映画を撮ってももう面白くないと思ったからです」
その理由について、ジャッキーは気持ちいいほどキッパリと答えた。10代から武芸に精力を注ぎ、スタントマンとして地道にキャリアを重ね、やっとの思いで手にしたはずのスーパースターの地位。だが、手放すことに本人はもはや何の未練もないようだった。

彼も59歳。年齢的にも確かに厳しいだろう。今後は「ベストキッド」のようなアクションはなくても彼のカンフーを見ることが出来るような役や演技を期待したい。



2013年4月17日水曜日

東京ディズニーランド

昭和58年4月15日に開園した東京ディズニーランド(TDL)が15日、開演30周年を迎え、園内で記念セレモニーが行われた。TDLを象徴するシンデレラ城前には、ミッキーマウスやミニーマウスなど約300のキャラクターやダンサーが勢揃いし、詰めかけた大勢の入園者とともに30周年を祝って園内は熱気に包まれた。

東京ディズニーランド(TDL)が30周年を迎えたそうだ。

TDLについて少し調べたら、世界のディズニーリゾートでは唯一ライセンス契約による経営・運営であり、経営・運営会社にディズニーの資本が全く入っていないらしい。驚いた。
にもかかわらず集客数は本家アメリカのディズニーリゾートを除くとパリ・中国のディズニーランドよりもダントツで多い。

レジャー産業を調査している米ERA社が2008年3月1日に発表した、2007年3月期の世界のテーマパークの集客数は次の通りである。

1位:マジック・キングダム(フロリダ 米国USA)16,640,000
2位:ディズニーランド アナハイム(カルフォルニア 米国)14,730,000
3位:東京ディズニーランド(東京 日本)12,900,000
4位:東京ディズニーシー(東京 日本)12,100,000
5位:ディズニーランド(パリ フランス)10,600,000

東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせると25,000,000人となり1位のマジックキングダムを凌ぐ来場者数である。

TDLの成功には、日本人のディズニーの世界観に対する憧れと、その世界を完璧に再現しようとする日本人の細やかさ、心配りが表れているのではないかと思う。ディズニーの世界観とは、夢の国といったものに欧米の文化というものも含まれている気がする。
考えるに昔から日本には客をもてなす気持ちが伝統に培われてきた。それは茶道などを見れば容易に理解できる。もともと日本人が培ってきた客をもてなす伝統が、TDLという夢の舞台で更に洗練し発展し続けていると思う。
それはウォルトディズニーが「ディズニーランドは永遠に完成しない」と言ったように、今のサービスに満足せず、これからもより良いサービスを求めていくのだろう。
夢の国と言われるTDL。それは建物といったハードな面だけでない。従業員の応対といったソフト面でも大きな魅力があるようだ。

TDLという場所は魔法が存在しているのかもしれない。あそこへ行くとみんなが幸せな気持ちになれる。そしてその魔法はTDLのハードとソフトの表面から成り立っているのだ。

2013年4月14日日曜日

地震速報

昨日の早朝聞き慣れないアラーム音で起こされた。

寝ぼけながら音源をたどってみると自分のスマホ。いつの間にかスマホにインストールされていたauの災害対策アプリから緊急速報メールが届き、アラーム音が鳴っていたのだ。
一気に目が覚め急いでTVをつける。無論TVでも地震速報を流していた。淡路島で震度6弱。
今度の震源地は18年前の阪神淡路大震災の震源に近い活断層らしい。地震の規模は阪神淡路大震災と比べて小さかったが震源が浅かったため大きな揺れとなったらしい。
被害は少なかったようだが、被害に遭われた方には心よりお見舞いを申し上げたい。

18年前の阪神淡路大震災の時は大きな揺れで目が覚めた。今回はスマホのアラーム音。
もちろん18年前は携帯はあったがスマホは存在していなかった。

TVをつけていれば緊急地震速報が見ることが出来るが、今回のような早朝であればTVの地震速報を見て地震の対策を取ることは出来ない。スマホが災害にも役立つということを今回再認識させられた。

マグニチュード7以上の地震は世界中でこの90年間に900回ほど起きているが、そのうち10%もの地震が日本で起きている。これは日本周辺のプレートが要因となっている。
日本には北アメリカプレート・ユーラシアプレート・太平洋プレート・フィリピン海プレートの4枚のプレートが、交差点のように周辺に集まっているからだ。

結局のところ我々日本人は地震とずっと相対していかなければいけないのだ。地震の予知は技術的にまだまだ未成熟であることは今回の東日本大震災で立証された。
しかし、地震が起きたらすぐに知らせる技術は着実に進歩しているようである。技術的に進歩した地震警報を私たちがいかに素早く受け取り適切に判断し行動していくか。
ハードウェアだけでなくソフトウェアも重要になってくるのだろう。
さらには温故知新の言葉のように、地震や津波に関する先人達の知恵をしっかり受け継いでいく必要もあると考える。

宮城県では過去何度も大津波に襲われている。そしてそれを教訓とした先人達の言葉が多く残っている。たとえば「津波てんでんこ」「命てんでんこ」
これは、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。
これは間違って解釈されることも多い。
群馬大学の片田大学大学院教授によると、「津波てんでんこ」というのは、「てんでばらばら、自分勝手に逃げる」というふうに間違って解釈されているがそうではない。「信頼関係がなければ、てんでんに逃げることなんてできない。子供は絶対に逃げてるに違いないと思うから、親は逃げられるのだと。これは親子の信頼関係がなければできないことだ。」と言っておられる。
このように先人達の大切な教えを間違いなく正しく伝えていく必要があるのだ。

津波対策はハード、ソフト両面あるが、特にソフト面が非常に大切なことが証明された。このようなこともふまえ各家庭で災害時にどう行動するか、考え続けていきたいと痛切に感じる。そして考え続けていくことが真の災害対策になるだろう。

2013年4月12日金曜日

村上春樹

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売された。

初めて彼の作品を読んだのは10代の終わりだった。知人に勧められて読んだ作品は「1973年のピンボール」。
当時の自分は、それなりの読書をこなして色んな作家の作品を読んできたが、初めて読んだ村上作品に衝撃を受けた。作品の中で主人公の感情や気持ちなどが今までにない表現で描かれていた。
当時の若い自分の中にあった上手く表現できなかった気持ちや考え、感情などがその小説の中で見事に表現されていた。これは今までにない新しい作家の誕生ではないだろうか。そう思いこの作家に興味を持ち、村上春樹の作品を読みあさっていった。そんな中「ノルウェイの森」を読み、すっかり村上春樹の熱心な読者となった。今でも自分の中で「1973年のピンボール」と「ノルウェイの森」は自分の中で大切な小説である。

村上春樹作品はその文章は分かり易いが、ストーリーは時として難解でありSF的な要因も含む。人によってはこれを好まない人もいるが、自分は普通に受け入れることが出来た。
なるほど、こういう小説もあるんだなと感じ、不思議と違和感は覚えなかった。

近年、村上春樹はノーベル文学賞候補になっているという話を聞く。また彼の作品は海外でも高い評価を受けており、特にアジアの若者に大きな影響を与えているらしい。
日本だけでなく海外でも支持者が多いと言うことは、若者にとって感じる部分は同じということが言えるのかも知れない。

前作の「1Q84」発売時も大きな話題となり、出版業界自体に大きなインパクトを与えた。即ち「1Q84」の売り上げが出版業界の販売数増大に寄与したのだ。あまりの反響の大きさに第3部(Book3)は、当初2010年夏に出版される予定となっていたが予定が早められて2010年4月16日に発売さるということになった。
しかしながらこの作品の前にイスラエルのエルサレム賞を受賞したことにより、実力以上に注目され、このことが「1Q84」のヒットの要因になったと酷評する声もある。
それでも作品に魅力がなければ、出版不況の現在100万部を超えるヒットになることはありえない。魅力的な作品であったことは事実であろう。

今度の新作も期待を持って読んでみたい。

追記:4月17日、発売後1週間で村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発行部数100万部を超えたらしい。「1Q84」の記録を抜く自信最速の記録になった。

2013年4月11日木曜日

北朝鮮

金正恩第一書記が北朝鮮の指導者の地位について一年が経った。

今、朝鮮半島の緊張が高まっている。

以前の金日成国家主席・金正日総書記は危機を煽りながらも落としどころをふまえ、挑発的な発言と共に妥協点も暗に明示していた。ところが現在の金正恩第一書記はその点がハッキリしない。アメリカもこの点も戸惑っているようだ。

北朝鮮と日米韓の3国を考えた場合、大きく違う点がある。それは北朝鮮は世論を考える必要がないという点だ。独裁体制の北朝鮮では国民に言論の自由はなく、政府が決めることにただただ従うことしかできない。
それに対して民主主義の日米韓では世論が大きな力を持つ。国の指導者も、国民の意見を無視して物事を決めることは許されない。
たとえば今回、アメリカは北朝鮮の挑発を力で押さえ込む姿勢を見せるためステレス性能を持ったB2戦略爆撃機を米韓演習に急遽参加させた。ところが、このことが北朝鮮をいっそう煽る形になったのではないかとアメリカ国内からの世論の反発を受けた。同様な世論に対する配慮は日本や韓国でも見られる。難しいところだ。

しかし報道などによると、北朝鮮も決して一枚岩ではないようだ。朝鮮労働党と朝鮮人民軍との対立が内部にあるらしい。
北朝鮮では民主主義国家における重要な原則であるシビリアンコントロール(文民統制)が存在しない。シビリアンコントロールは政治が軍事をコントロールする重要な制度で、軍事力の暴走を抑制するための重要なシステムだ。文民(国民)が、選挙で選ばれた国民の代表を通して軍隊をコントロールするというシステムは民主主義国家においては必要不可欠とされている。
歴史を読み解いても、武力が権力を持ってしまうと全くコントロールできなくなり、それが戦争といった最悪の状況の陥る例は枚挙に暇がない。北朝鮮ではシビリアンコントロールの制度がないため、軍をコントロールできなくなりつつあるのではないか。
権力者に軍をコントロールするだけの力量があれば良いが、一個人の資質に国の命運を委ねてしまうというのは非常に危険であり、そのため憲法等でシビリアンコントロールを明文化しておく必要があると考える。

十分な根回しをして朝鮮戦争を仕掛け、各国に対して渡り合った金日成主席と、その父の姿を側で長い間見てきた金正日総書記。それに比べて金正恩第一書記は若く経験が不足している。軍をコントロールできるか未知数だ。

以前読んだ本にこんな事が書かれていた。
「正しい判断が出来きるリーダーがいる組織でも、間違った情報を与え続けると組織としては間違った方向へ進む。」

関係各国のリーダーは正しい情報に基づき正しい判断をして欲しいと切に望みたい。

2013年4月10日水曜日

インフレとデフレ

インフレーション(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象である。日本語の略称はインフレ。日本語では「通貨膨張」とも訳す、俗称は「右肩上がり」。反対に物価の持続的な下落をデフレーションという。

デフレーション (英: Deflation) とは、物価が持続的に下落していく経済現象を指す。略してデフレとも呼ぶ。日本語では通貨収縮。対義語に物価が持続的に上昇していく現象を指すインフレーション (英: Inflation) がある。

物価が上がっていくのがインフレ、下がっていくのがデフレ。消費者にとって物価が下がる方が良いのでデフレが好ましいと思われがちだが、そうではない。日本は1995年頃から16年以上も続いている。これで景気が良くなっているとは誰一人感じていない。

この間TVを観ていたらコメンテーターの会社社長がわかりやすい説明をしていた。
「インフレでは物価が上がるので、みんな早めにモノを買おうとする。なぜなら明日になったら値段が上がるかも知れないから。だからある程度はモノが売れる。
反対にデフレで物価が下がるから、モノを買わない。なぜなら明日になったら値段がもっと下がっているかも知れないから。だからモノが売れない。そうなると販売者側は更に価格を下げる、という悪循環になる。」

非常に分かり易い。デフレでは物価が下がるだけでなくモノが売れなくなるのは、みんながモノを買わなくなるからだ。
よってデフレは解決すべき問題であるということは、経済学者・エコノミストで全員一致している。

日本はデフレに突入して16年以上が経過していると言われている。この間に様々なデフレ脱却の手段を時の内閣は取ってきた。しかし、どれも目立った効力は発揮できなかった。
日銀も金融緩和政策を採り続けてきているが同じく目立った成果は挙げられずにきた。

そんな状況で新しく就任した日銀の黒田新総裁は4日の金融政策決定会合後の記者会見で「次元の違う金融緩和だ。戦力の逐次投入はせず、必要な政策はすべて講じた」と強調した。
このコメントを聞いて、なるほど結局今までの日銀に欠けていたのはこれだったのか、と納得した。即ち「戦力の逐次投入はせず」という部分だ。
戦力の逐次投入とは、戦力を小出しにしていく方法でこれでは敵に各個撃破されれば全滅してしまう非常に危険な方法である。
タイミングと時期を見計らったら、持てる戦力を一気につぎ込む。そうしないと戦いには勝てない。
いままでの日銀総裁は経済学者としては優れていたが、戦闘指揮官としてはそうではなかったのだろう。

新しく就任した日銀の黒田総裁はデフレというモンスターに倒すためにはインフレというもう一方の怪物を手なずけなければならない。戦闘指揮官としての黒田氏の手腕に今後期待したい。

2013年4月9日火曜日

サッチャー

英国のサッチャー元首相が2013年4月8日死去した。享年87歳。

マーガレット・サッチャーことマーガレット・ヒルダ・サッチャーは、イギリスの政治家で貴族。爵位は男爵(女男爵)。イギリス史上初の女性保守党党首、英国首相。1992年からは貴族院議員。保守的かつ強硬なその性格から「鉄の女」の異名を取った。首相在任期間は1979年5月4日から1990年11月28日。

30年以上前、サッチャー氏は首相に就任し、自由市場経済と個人の選択の原理を強く支持して英国経済を改革したほか、同氏の積極的な外交政策は冷戦を終結させる上で重要な役割を果たした。

2012年3月16日には彼女の伝記映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題: The Iron Lady)が公開されヒットとなった。主演のメリル・ストリープは「この驚くべき女性を通じて歴史をひもといていくお仕事は、非常に難しくもあり、またワクワクするような挑戦です。この役柄には、実際のサッチャー女史が抱いていたような情熱と注意深さを持って挑もうと思います。わたしの気力が彼女の持っていた気力に近づくことを期待するのみです。」と語った。

最初彼女の名前を聞いた時「マーガレット」って可愛い名前だなという印象を受けた。しかしニュースで流れる彼女の別名は「鉄の女」。この二つの名前のギャップが大きくとまどったことを覚えている。

いまでは女性指導者は珍しくなかったが当時としては珍しかった。今でも自分としては女性指導者といわれるとサッチャーの名前が浮かぶ。

彼女は約10年間イギリス首相の任にいた。日本で10年間首相を務めた人はいない。小泉さんでも5年。サッチャーさんの半分だ。
といっても日本と英国では政治形態が違うので比較は出来ない。イギリス首相としては10年の任期は普通らしい。

故田中角栄元首相は「自民党幹事長は何度やってもいい。あんな面白い職はない。しかし総理大臣は一回で良い。」といったらしい。それだけ一国の首相は激務ということだろう。

妻であり母で一国の首相であった彼女の心労はなみたいではなかったと推測される。

イギリス政府はサッチャーの葬儀を4月17日にセントポール寺院で、エリザベス女王とエジンバラ公の参列を賜る準国葬にすると発表した。首相経験者の葬儀に国王(エリザベス女王)が参列するのは1965年に亡くなったウィンストン・チャーチル元首相いらい48年ぶりとのこと。彼女の人柄と構成がこのことからも偲ばれる。

2013年4月8日月曜日

新一年生

秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは7日午前、お茶の水女子大付属小学校(東京都文京区)の入学式に出席された。

同校によると、新入生は約100人。悠仁さまは3月までは同じ敷地内にある付属幼稚園に3年間通われていた。
皇族が学習院初等科以外の小学校に進むのは戦後初めてのことで、お茶の水女子大学附属小学校では、警備関係者のための待機施設を新たに造るなど準備を進めているとのこと。
なぜ学習院ではなくお茶の水女子大学附属小学校になったかというと、母である秋篠宮妃紀子様が同大学を拠点に研究活動を行っていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度での合格によるもので、悠仁親王が適用第一号だそうだ。

学習院は明治時代初期の1877年に皇族・華族のための教育機関としてあらためて開校された学校。そこに将来の天皇が通わないというのは驚き。
実際問題として、天皇家の子供達(皇太子・秋篠宮)で学習院以外は悠仁親王だけだし、報道でもあるように皇族が学習院初等科以外の小学校に進むのは戦後初めてらしい。

秋篠宮様は当然悠仁様への将来の帝王学として学習院よりお茶の水を選んだということなんだろう。悠仁様は秋篠宮家であるため従来の慣例には従わなくても良いのかも知れないが、学習院の方はどう思ったんだろう。興味があるな。それに入学式を日曜にやるんだなって珍しく思った。

ところで皇太子の地位と皇位継承順位について調べてみた。現在の皇太子殿下が天皇になると、秋篠宮様が皇位継承順位1位になる。この場合、秋篠宮様は皇太子と呼ばれるのだろうか。
皇太子は天皇の子供で皇位継承順位第1位の皇族に対して呼ばれる尊称なので、皇太子殿下が天皇になられても秋篠宮殿下は皇位継承順位第1位になられるだけで皇太子にはならないらしい。たとえば昭和天皇に男子が生まれなかった時期にも、次弟の秩父宮殿下が皇太子と呼ばれていなかったことでも理解できる。
一応、呼称として皇太弟という呼び方があるそうだが、現行法は皇太弟という呼称を認めていないので、たとえ皇位継承順位が第1位に繰り上がっても秋篠宮殿下の尊称はそのままだそうだ。

天皇に関してはいろいろな意見がある。しかし国民の大多数は天皇制に賛成している。特に日本が国難に遭ったとき、天皇の存在は重要になると自分は考えている。
たとえば、戦後の昭和天皇の全国巡幸である。
そして東日本大震災の皇室の対応もそうであった。
東日本大震災の時も、早くも3月30日から被災者をご訪問なされ4月27日には被災地に巡幸なされた。余震のリスクを考えると非常に早い巡幸であったと思う。
心臓の冠動脈バイパス手術を受け退院から1週間後に開催された一周年追悼式では、20分間に限定してご臨席。一周年追悼式に出席したいという希望をお伝えになり、それに間に合うように手術を行われたと、追悼式出席を最優先に考えて手術を決断したことを明かされている。
東日本大震災による電力危機の時は、東京電力が実施した管内における計画停電は皇居・御所がある千代田区は対象外であったが、皇居・御所では東京電力が発表した計画停電スケジュールの「第1グループ」地域における停電時間に合わせて電気の使用をほぼ全て控える「自主停電」を行われ、東京電力が計画停電スケジュールを発表している場合は実際の停電の有無に関わらず続けた(4月30日を最後に東京電力から計画停電のスケジュールが発表されなくなったため終了)。

常に国民の事を考え、国民の象徴として行動されている天皇の素晴らしさを将来の天皇も引き継がれていくだろう。
悠仁様が皇位を継がれる姿を見たいと思うが、年齢的に自分が見るのは難しいだろうなぁ。

2013年4月6日土曜日

春の嵐

今日から明日にかけて台風並みに発達した低気圧が日本海を北上するらしい。

去年も同様な天気で、同じく台風並みに発達した低気圧が日本海を北上し各地に大きな被害をもたらした。何日だったかなと思い日記を観ると4月3日だった。
去年のことを思い出してみると、数日前から天気予報では「台風並に発達した低気圧」という表現を使って注意を喚起していた。気圧の低さも数字を出して台風と比較していた。しかし受け止める側は、気圧の数字などを見てなるほど確かに台風並のなんだなと思いはしたものの、所詮は低気圧なとど高を括っていた感は否めない。ところが実際に体験するとすごかった。確かに台風と同じ勢力だと感じた。

調べてみると低気圧には二つ有るそうだ。温帯低気圧と熱帯低気圧。このうち熱帯低気圧が発達し最大風速17.2m/s以上になると台風と呼ばれる。
台風即ち熱帯低気圧は暖かい海水の上昇気流がそのエネルギー源となっている。そのため海水温が低いところへ行くとだんだんと勢力が落ちる。
一方低気圧(温帯低気圧)は寒気と暖気とがぶつかって出来る前線上で発生し、その大気の温度差がエネルギー源となっている。そのため大気の動きによっては勢力が長時間維持される。

台風と低気圧を比べた場合、一般的には台風の方が勢力が強い場合が多い。ただし今回のように台風並の勢力となった低気圧は台風より怖い。なぜなら台風であれば、暖かい海水温をエネルギー源としているため、海水温が低い海域や陸地に上陸するとだんだんと弱まって進んで行き風雨の勢いが弱まることがある。ところが低気圧は上空の大気の温度差がエネルギー源のため、大気の位置が変わらないと殆ど威力を衰えないまま進んでいく。さらには暴風雨の範囲も低気圧の方が広い。恐るべし低気圧。甘く見るととんでもない目に遭う。

去年の教訓から、今年は早めに食料を買い込み低気圧が通過する時間は家に閉じこもることにする。人間はいくら科学が発達しても所詮自然には叶わない。「君子危うきに近寄らず」である。

追記:低気圧が去った8日、三重県の津と伊賀両市にまたがる青山高原の風力発電施設「ウインドパーク笠取」で風力発電機1基の支柱(高さ65メートル)の先端に付いていた風車(3枚羽根、直径80メートル、発電機を含む重さ140トン)が落下しているのが発見されたらしい。
風車が落下するほどの風で支柱も曲がるほどのエネルギー。しかし100t以上の重量物が落ちるなんてどれほどの強風が吹いたのだろう。たかが風と言いながら100t以上の重量物を破壊するほどのエネルギーを持っているとはまさに驚きであった。自然が牙をむけば人間の作り出したものなど簡単に破壊されてしまうと言うことが改めて認識させられた。

2013年4月4日木曜日

北野映画

現代日本を代表する映画監督に一人に北野武を挙げることに異を唱える人は少ないであろう。
ヴェネツィア国際映画祭で第54回ヴェネツィア金獅子賞と第60回ヴェネツィア国際映画祭監督賞(銀獅子賞)を受賞しており、北野映画は新作が発表される毎に注目を集める。

自分の中の北野映画は、非常にマニアックな印象を受ける。一般的にいっても非常にクセのある映画と感じている人も多いと思う。

北野映画の特徴はその暴力性である。批評が別れる北野映画の暴力の描写であるが、「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」と考えているのではないだろうか。

たとえば戦争映画を例に取った場合、感動的な戦争映画も多数あるが、結局戦争とは人殺しの場である。それをリアルに表現したのが映画「プライベートライアン」の冒頭シーンでスピルバーグが描いたノルマンディ上陸作戦の場面であり、スピルバーグが描いたリアリティはその「皆が目を背けたがるが厳然として存在し、目を背けることができない」ものであろう。

自然界で動物たちは弱肉強食の世界に生きている。それは即ち弱いものは強いものの糧となる世界だ。それを誰も非難しないし当然のことと受け止めている。
人間も生物の一部なのだから、自然界の動物が当然持っている暴力性を持っているはずだ。しかしそれを真正面から向き合うことを人はしたがらない。北野はそれを厳然たる事実だ受け止めて表現しているのだろう。
「暴力はみんなが目を背けるが厳然として存在するものであるし、それに目を背けることは出来ないものである。」ということを説明するとするとそうなるのかも知れない。そして、「生きてくってそういうことなんだよ」と北野は言っている気がする。
人間は大なり小なりの暴力の上に成り立っている部分があり、それを無視して人間を描くことが北野武には出来なかったと思う。

しかし「暴力」と「人間の美しさ」という相反する事象を北野は見事に調和させ描き出している。それを引き出すのが「キタノブルー」と呼ばれる独特の青。
「キタノブルー」は北野映画のビジュアル面での大きな特徴である。画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるということもあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれ、ヨーロッパで高い評価を得た。これは突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったというが、近年『Dolls』以降はキタノブルーの傾向は薄れているようだ。

どちらのしてもキューブリックがそうであったように、北野武の映画は誰が観てもすぐに北野映画であるということが分かる。そういう意味でも素晴らしい映画人であることは間違いない。



2013年4月3日水曜日

「2001年宇宙の旅」

「猿の惑星」と同じ1968年に「2001年宇宙の旅」も発表された。

この作品を最初に観たのはいつだったのだろうか?多分スターウォーズの第一作が封切られた年にTVのロードショウ番組で観た記憶がある。スターウォーズに影響を与えた映画ということで、期待してみたのだがよく分からなかった。今考えればスターウォーズと比べるのは間違いだったと思う。
それから何度か観たが印象はあまり変わらなかった。何でみんなこの映画は素晴らしいという評価をするのか不思議だった。

原作者のアーサー・C・クラークはこう言ったそうだ。
「もしもこの映画が一度見ただけで理解されたのなら、われわれの意図は失敗したことになる。」
よく分からない印象を持ったのは当然だったらしい。

ところが何度か観た時ふと思ったのだ。
ちょっと待てよ。この映画が作られた時CG(コンピュータグラフィック)て無かったんじゃないか?ということはあのシーンはどうやって撮ったんだ?
今であればCGを使って撮影するシーンが「2001年宇宙の旅」には多数ある。それが全て実写で撮ったとすれば一体どうやったんだ?
この映画はボイジャー計画以前であることは言うまでも無いが、アポロ計画よりも前に作られている。人類は他の惑星の映像はおろか、月にも降り立っていない時代だ。それなのにここまで完璧に宇宙の映像を描き出している。

それに気づいた時ぞっとした。この映画とんでもないぞ!!
発表当時に観た人たちが受けた衝撃が想像できた。

同年に『猿の惑星』 も発表されたが、これだけクオリティーが高い作品が2作同時に登場したということはある意味奇跡に近い出来事であったと思う。

この映画がここまで見事に仕上がったのもキューブリックの完璧を求める姿勢にある。キューブリックはこの映画を作るにあたり天文学者、物理学者はもちろんのこと生物学者に至るまで、さまざまな科学分野の人間に助言を求め調べ尽くしたらしい。そして完璧な宇宙空間の映像を作り出した。

またキューブリックはこの映画でそれまでには 無い映像技術をいくつも生み出している。キューブリックいわく「存在しない技術なら作り出せば良い」。またこうも言ったらしい「人間の想像しうるすべては必ず映像に出来るはずだ」。そしてそれまでに無い奇跡的な映像 が生まれた。
この映画は、ルーカス、スピルバーグなど多くの映画監督に絶大な影響を与えた。

キューブリックは完璧主義者として知られているが、撮影が終わった後全てのセットや大道具小道具を処分してしまった。
後に続編となる「2010年宇宙の旅」を制作する際に、「2001年・・・」で使用したセット等が無く、また全て作り直したそうだ。

発表された当時と比べて家庭向けTVの性能は格段に向上している。今後ますます向上していくだろう。それでもその鑑賞に十分堪えられる映画として「2001年宇宙の旅」は存続していくと思う。全くスゴイ映画だ。


2013年4月2日火曜日

「猿の惑星」

この間、久々に「猿の惑星」を観た。TVのロードショー番組で放送していたのだ。
「猿の惑星」といっても1968年に封切られたオリジナル第一作目だ。
今観ても猿たちの特殊メークアップやストーリーの奇抜さ、そしてラストシーンの衝撃など非常に面白く楽しめた。
SFでありながら、ほとんどSF的な映像が出てこない不思議な作品でもある。
当時のレベルからは飛びぬけたその特殊メイク技術、これによりアカデミー賞にメイクアップ部門が設立されるなど各方面に影響を与えた。
それまでに例を見ないストーリー展開と人間社会への強烈な風刺、まず第1級のSF作品と言って良い。

調べたら「猿の惑星」はフランスの小説家ピエール・ブールによるSF小説で1963年発表された作品らしい。原作があるとは知らなかった。
最初に観た時は幼かったこともあり猿たちの特殊メークアップと、そのストーリーが衝撃的で非常に印象に残っている。未来の地球は猿たちによって支配されるかと思い、しばらく動物園などに行ってもサルが恐ろしかったのを覚えている。

大人になった今改めて映画を観て感じる点が何点かある。

その1.猿たちを主導する政治家が「第一書記」と呼ばれていたこと。1968年というと冷戦まっただ中。猿たちが社会主義とは思えなかったが、政治家のトップが「第一書記」という役職と言うことは冷戦を感じさせた。

その2.猿たちのメークアップの素晴らしさ。当時は当然CGなど無く出てくる猿たちは全て特殊メークアップをした役者であった。メークだけでなく演技そして表情も、進化した猿という人間と猿の間といった感じで素晴らしい。

この第一作の「猿の惑星」ではなぜ地球を猿が支配するようになったかは解き明かされなく終わるが、続く続編で解き明かされ全てのシリーズ5作が繋がるようになった。

2001年にはティムバートン監督によるリメイク作品も公開された。この作品は原作により忠実に作られているらしい。機会があったら一度観てみたい。

ちなみに原題は「PLANET OF THE APES」。APESとはAPEの複数形で、「類人猿」を意味する。MONKEYでは無いんだなと思った。


2013年4月1日月曜日

エイプリルフール

米グーグルは突然4月1日午前零時に傘下の動画共有サイト「ユーチューブ」を閉鎖すると発表した。

グーグルは3分半の動画をユーチューブに投稿。その中で、サイト閉鎖後に、これまで投稿された動画15万本の中から最も優れた作品を選出する作業を今後10年かけて行うと説明。
さらにユーチューブでは2023年に最優秀作品のみが視聴できる状態で再開され、受賞者には奨励金500ドル(約4万7000円)とクリップオンMP3プレーヤーが与えられるとしている。

このニュースを見て非常に驚いた。しかしすぐにエイプリルフールのジョークであると気づく(というかニュースでもエイプリルフールであることが記載されていた)。

外国企業はこのようなジョークが好きだなぁとつくづく感じた。以前は英BBCの「ビッグ・ベンのデジタル化、およびそれによる時計針のプレゼント」(1980年、2008年)などがあった。
日本ではまずありえない。と同時に笑いのセンスも違いがあるのであろうと思った。

元をたどれば、エイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。欧米ではこのような人をビックリさせたり皮肉ったりするのが好きなのだろう。
一方日本では落語に代表されるような、ほのぼのとした笑いを好む。
それぞれの国で笑いの質等のが違うことが分かる。

たとえば「トムとジェリー」の笑いと「サザエさん」の笑いは大きく異なる。「トムとジェリー」は弱者であるネズミが強者であるネコをやっつけることに笑いを誘う。一方「サザエさん」ではどの過程でも起こりうるほのぼのとした笑いを表現している。
そう考えると、笑いにはジョーク系の笑いと、ストーリー系の笑いがあるように思える。

ジョーク系は漫談、漫才などギャグの笑い。
ストーリー系の笑いは、こんな出来事があってこんな人がこんな失敗をしたという、例えば人の失敗談など。ストーリーがある笑いである。人間そのものの持つ可笑しさ、面白味である。
落語は当然こちらの笑いになる。落語は人間の本質を題材に笑いを招く芸で、落語の舞台は普通の人々の普通の日常生活。落語の中に出てくる登場人物たちは世界中どこにでも身近にいるような人たちばかりである。

ある落語家は「日本の笑いが世界中に広がれば世界は平和になる」といっていた。
それはほのぼのとして、そういえばウチでもそんなことがあるよなと人々の共感を誘う笑いである。

そういう意味ではエイプリルフールという習慣は日本にはあまりそぐわないのかも知れない。

2013年3月31日日曜日

春の味

春の味はほろ苦い。以前はツクシやフキノトウなど春の食べ物は得意じゃなかった。あの苦味やエグ味がダメだった。

しかしある人にこう言われた。「あの味が春の味じゃないか。あの苦さはこれから芽吹く生命の味なんだ。」
ふ~む、確かにそうだ。春の食べ物は苦い味のものが多い。そこで少し調べてみた。

昔から「春は苦味を盛れ」といわれるように、この季節に出回る山菜類などは苦味やエグ味が強い。冬の終わりから早春にかけて、田んぼや山野には春特有の苦みと香りを持った山菜がたくさん顔を出す。春の使者といわれる「ふきのとう」、山菜の王様と呼ばれる「たらの芽」、春先に一度は食べたい「せり」、ゆっくり育ち強力なパワーを持つ「行者にんにく」。それぞれ冬の間に体内に蓄積された脂肪や老廃物を排出し、活動的な体に目覚めさせる働きがある。ホウレンソウや春菊のエグ味はシュウ酸、ワラビ・ゼンマイのそれはサイカシン。フキ・クワイの苦味はカテキン・サポニン・クロロゲン酸らしい。

こうしてみると、苦味・エグ味の成分にはクロロゲン酸、カテキン、サポニン、タンニンなどの抗酸化作用があるポリフェノールが含まれていることに気がつく。特有の苦みと香りを持っており、苦味はアクとして「アク抜き」され調理されるが、このアクはタンニンなどのポリフェノール類など抗酸化力などの有効な成分が含まれている。アク抜きは必要な食材も多いが、アクを抜きすぎないように気をつけたい。

アーユルヴェーダでも、苦味がもつ効能について次のように言っている。
「解毒、脂肪の除去、殺菌、味覚の回復、消化を促進させ毒素を燃やし、かゆみ・炎症やのどの渇きを鎮静させ、血管やあらゆる身体組織を浄化する。」

あの苦さは冬の間ずっと蓄えてきた命のエネルギーの味なのか。冬を乗り切り、春になって芽吹いた生命が蓄えていた命の味なんだ。ホルモンバランスを崩しやすい春は、肌荒れを起こしたり、体調を崩しやすい季節でもある。そこで、生命力にあふれる山菜などを食べて栄養をとるのは、理にかなったことなのかもしれない。

そう思ったら、あの苦さを味わえるようになった。考えてみれば日本人は春というものを目で楽しみ味でも楽しんだんだなぁ。

ふとTVを観ていたら、ツクシを摘みに来ていた年配の女性がこう言っていた。「ツクシは傘が開ききったのが苦みが少なくて美味しいです。」苦味は出来れば少ない方が良いと思っているのは自分だけじゃないようだ。

2013年3月30日土曜日

花粉症

30歳になって花粉症になり、それから10年あまり...花粉症とも長い付き合いとなった。

花粉症対策としていろいろ試した。もちろん医薬品を服用するが、医薬品は飲むと眠くなったり喉が渇いたりと何かと不便なことも多い。そこでそれ以外のものも試してきた。

まずは凍頂ウーロン茶。台湾を代表する烏龍茶で台湾の凍頂山で栽培したことがはじまりとされるウーロン茶で、アレルギー反応を抑制するメチル化カテキンの含有量が多いことから花粉症に有効であるとされている。

実際に飲んでみると確かに効いた。数年は凍頂ウーロン茶で乗り切ってきたが、ある年の花粉が例年以上の量で、さすがに凍頂ウーロン茶では対応できず。残念。

当時は朝作ってそれを飲んでいたが飲み干してしまうと出先などではどうしようもない。それにカフェインも含まれているため夜寝る時は眠れなくなるため飲めない。

そこで凍頂ウーロン茶に代わるものはないかとネットで探したら、マグネシウムが効くという情報。早速ドラッグストアへ行ってマグネシウムの錠剤を購入。

こちらもそれなりに効いた。

実はマグネシウムが効くという情報は、もともと「にがり」が効くという情報からきたもので、当初は「にがり」を入手しようと探したがスーパーには無い。ネットで検索すると見つかったが非常に高価だったため断念し、マグネシウムの錠剤にした経緯があった。

ところがある日、近くにスーパーに行くと「にがり」があるではないか。値段も100ml入りで250円とリーズナブル。早速購入して試してみる。

うむ良い感じ。

「にがり」は原液では飲まないので5~10滴程を薄めて飲む。基本は水だが缶コーヒーに入れても大丈夫。このあたりが非常に利便性が良い。凍頂ウーロン茶と違ってカフェインは含まれていないので就寝時でも大丈夫だし、小瓶に入れて携帯すれば出先でも簡単に飲むことが出来る。

効果持続時間は2~3時間程であるが、前述の通り携帯性なども良いためさほど苦にならない。効果が切れてきたなと思ったら手近にある飲み物に数滴入れて飲めば良い。医薬品は一粒で半日から1日持続する商品も多数あるが、コストパフォーマンスでは圧倒的に「にがり」に軍配が上がる。

さらには、医薬品の場合は効き目が弱いなと思っても追加でもう一錠飲むというのは難しい。しかし「にがり」であれば、効き目が弱いと思えば再度追加して飲むことが可能。

この点も便利である。

しばらくは「にがり」のお世話になるだろうなぁ。

皆さんの参考になれば幸いです。


2013年3月29日金曜日

ドラえもん

1980年公開の『ドラえもん のび太の恐竜』から始まった劇場版ドラえもんの累計観客数が1億人を超えたらしい。

1億人とは観客が親子2代から、場合によっては3代に渡っていることを意味している。改めてドラえもんの人気に高さを感じさせられる。

ドラえもんというと四次元ポケットから取り出す道具に注目されがちだが、それ以外にも大人向けの内容になっている作品のドラえもんには多い。

たとえば「45年後・・・」という作品。その中で45年後からやってきた大人ののび太が子供ののび太に次のように語りかける。

「一つだけおしえておこう。きみはこれから何度でもつまづく。でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ。」

そうだよな。のび太は人よりたくさんつまずいている。でもその度立ち上がっている。それはとてもすごいことだ。このことに気づいた時、のび太への考え方が変わった。弱い人間だと思っていたのび太は実はとても強い人間だったんだ。
人は誰もつまずいたり転んだりしたくない。しかしつまずいたり転んだりしない人間はいない。もし倒れたら立ち上がらないと次には進めない。

多分のび太は他の人が倒れてなかなか立ち上がれない時でも、さっさと立ち上がり前へ進んでいくんだろうな。そして歩むスピードは遅くても結果的には人より早く目的地にたどり着けるのかも知れない。

ちなみにこの「45年後・・・」という話は一部の熱狂的なドラえもんフリークの間では実質的最終回(または最終回として制作された話)ではないかと話題になった。
実際に2005年3月11日にTV放送された「45年後・・・」は、30分番組の通常放送としては最後の大山のぶ代版ドラえもんの放送であった。
当時は単行本未収録で映像化もなかったため、このことがいっそう議論が盛り上がったようだ。

今までにも「大人ののび太」が出てくる話は多々あったが、45歳という年齢ののび太が出てきたのは最初で最後。それは、のび太という少年のある意味での「成長物語」の決着だったのではなかっただろうか。どんな人生を歩んでもそれに立ち向かっていける強い心をずっと持ち続けている事が出来る。そういう人間にのび太は成長したということを表現したかったのかも知れない。

累計観客数が日本歴代1位のドラえもん。2位は「ゴジラ」シリーズ、3位は「男はつらいよ」しりーずだそうだが、2・3位とも制作は終了しているため今後はドラえもんの独走だ。どこまで記録を伸ばすのだろう。楽しみだ。

2013年3月27日水曜日

シュガーマン

『シュガーマン 奇跡に愛された男』(Searching for Sugar Man)は、2012年のスウェーデン・イギリスのドキュメンタリー映画で、本年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品。あらすじは次の通り

「メキシコ移民の子でデトロイト生まれのシンガーソングライターのロドリゲスは、1970年代初頭に米国で歌手デビューするが全く売れず(全米で6枚しか売れなかったという話も)アメリカ音楽界から消え去った。
しかし数年後の1970年代末、どういうわけか突如アメリカから遠く離れた南アフリカ共和国で爆発的に大ヒット。累計で50万枚以上のセールスを記録した。
しかし南アフリカでは、そのロドリゲスが誰なのかその後どうなったのか誰も知らない。
そこで現代の南アフリカのジャーナリストとレコード店の店主がある人物がロドリゲスの消息を求めてウェブサイトを立ち上げる。そこのある人物から連絡が入る...」

それまでの音楽ドキュメンタリーといえば有名人を取り扱ったものが多かった。商業的にもそうでなければ成功はおぼつかない。誰も知らないミュージシャンの話など興味を持たないのだ。

しかしこの映画は全く無名のミュージシャン(南アフリカを除く)の音楽ドキュメンタリー。
題名となった「シュガーマン」という曲を聴いた。確かに良い曲だとは思う。しかし他の有名ミュージシャンの良いトコ取り的な感じでオリジナリティーはあまり感じなかった。

当時の南アフリカは悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていた。このアパルトヘイトに南アフリカの白人の多くは賛同していたと思われるが、中にはリベラルな考え方をする人間もいてそのような人たちは自分たちの考えを表現する芸術に飢えていたのだろう。そしてロドリゲスの歌がそれにマッチした。南アフリカで売れてアメリカで売れなかったのはこの辺にあるのかもしれない。

無名のミュージシャンが突然売れ出すというのは現代でもあり得ることだ。しかしそのミュージシャンが誰か分からないということは今ではありえない。ほとんどの今のミュージシャンは自分のHPをもっているのでネットで検索すれば大概の情報は得ることが出来る。音楽は知っているが演奏者のことが分からないということは起こりえないことなのだ。

インターネットが無かった時代だから起こった出来ことなんだろうし、その曲だけでミュージシャンに興味を持たなかったのも面白しろい。ノスタルジックあふれる話だな。
曲だけが大ヒットしてそのミュージシャンが無名のままとは、どこか全米でヒットした「スキヤキソング」即ち「上を向いて歩こう」を思い出す。
機会があったら観てみたい映画の一つとなった。

ちなみに「シュガーマン」とは麻薬の密売人のことらしい。



2013年3月26日火曜日

さくら

現在は満開の桜というと、花見で昼夜問わず大騒ぎをしている。それは果たして昔からそうだったのだろうか。
想像して欲しい。満開の桜の下から人を取り去った風景を。その光景は美しさよりも怖さを思い起こさせはしないか。

古来、桜は観賞するものではなく、山奥に咲き人知れず散っていくそういう花であった。今のように観賞用の桜など無く、里では観ることができない花だったのだ。そして山奥で桜の咲く様子はあまりに幻想的であり、その美しさに古人は畏敬と時には恐怖の念を感じて桜には近寄らなかった。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」に、昔の旅人が夜の山道で満開の桜を見て、恐れおののいて急いで桜の下を通り過ぎたという話が出てくる。

昔は満月の夜にその月明かりで旅していたのだから、月明かりの下の満開の桜は旅人にどう映ったのか?
ほんの一ヶ月前までは老婆のような枯れたような老木が、今はこの世のものと思えない程の美しさに変わっている。そこにアヤカシの存在を感じ取ったのも無理もない。桜の木のそばには鬼が住んでいて、人が桜の美しさに誘われて近づくと鬼に食われてしまうとさえ思っていた。

実際に美しい桜を観たいと家族の反対を押し切って山奥へ行き、行方知れずになる者もいただろう。そう言うときは、桜のそばの鬼に食われたのだと噂されたと思う。

それが江戸時代になりソメイヨシノが開発され桜は一気に普及した。それはソメイヨシノは従来の桜にない長所を幾つか持っていたことに起因する。
まず一つは、ソメイヨシノは先に花が咲き後から葉が開く。桜の種類によっては花と葉がほぼ同時に開くものもあるが、ソメイヨシノのように花が先のほうが見ばえが良く評判がよかった。
二つめは成長が早くて10年も経てば立派な木になり、他の桜に比較すると若いうちから花を咲かせる。またソメイヨシノの花は少し大き目で、花付きもよく見た目が豪華であった。
これらの長所を持っていたため、ソメイヨシノは明治に入ってから、全国の城跡や公園、学校、河川の堤防沿いなどに植えられ、急速に普及していった。現在では観賞用の桜の殆どはソメイヨシノである。
そして昔は桜を恐る恐る鑑賞していた人々も、その美しさを手軽に鑑賞できるようになったのだ。流石に鬼も里へまでは降りて来られまい。

一度月明かりの下の満開の桜を観てみたいと思うが、今の世では他の灯りが多く純粋な月明かりの下というのは難しいか。というよりその美しい恐怖を恐れているのかも知れない。