5日東京ドームで、長嶋茂雄氏及び松井秀喜氏に対する国民栄誉賞の表彰式が行われた。
長嶋茂雄氏は闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さにより、プロ野球史上に数々の輝かしい功績を残し、多くの国民から誰からも愛される野球界の「国民的スター」として、野球界の発展に極めて顕著な貢献をされるとともに、国民に深い感動と、社会に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由。
松井秀喜氏は、野球界において、ひたむきな努力と真摯なプレイにより、日米両国を舞台にした世界的な功績と、新たな足跡を残すとともに、日米両国の多くの国民から愛され、親しまれ、その数々の輝かしい活躍は、社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に明るい夢と希望を与えることに顕著な業績があったことが受賞理由となった。
国民栄誉賞は、昭和52年8月に創設されている。
1977年(昭和52年)、当時の内閣総理大臣・福田赳夫が、本塁打世界記録を達成したプロ野球選手・王貞治氏を称えるために創設したのが始まりである。背景には、先に設置されていた内閣総理大臣顕彰が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった。また王氏は叙勲には若過ぎたという事もあり、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが国民栄誉賞である。
その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」であり、かなり幅広い解釈が可能である。日本国籍は要件にない。また公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だという。
プロ野球界で受賞したのは2名。本塁打世界記録を達成した王貞治氏と、連続試合出場世界新記録を達成した衣笠祥雄氏。
前述の2名は記録を残したのに対して、長島・松井の両氏は記憶に残る選手として表彰されたことになる。そしてONが共に国民栄誉賞を受賞した。
国民栄誉賞授賞式に続く、始球式では長島氏は背番号「3」のユニホームを袖に通し、打席に立った。1974年10月14日の現役引退以来である。
ピッチャーは松井氏。キャッチャーは巨人原監督。審判の位置に背番号「96」のユニフォームを着た安倍総理大臣という布陣だった。
そして長嶋氏は“本気”だった。長島氏曰く、打席に立ったら闘志に火がついたらしい。ところが、松井氏が投じたボールは頭をかすめるような内角高め。左手で握られた長嶋氏のバットは空を切った。
長島氏は皆が知っているように、脳卒中で倒れ現在リハビリ中である(本人はトレーニングと呼んでいるらしい)。通常であれば、肉体と共に気力も衰えているはずである。それなのに打席に立った長島氏は闘志を燃やし、不自由な身体にもかかわらずボールを打ちにいった。なんという精神力なんだろう。
今回長島氏は受賞スピーチを行った。伝え聞いた話によると、長島氏の病状からしてあれだけの回復を見せたことはものすごいことらしい。彼のトレーニング(リハビリ)の過酷さが伺える。そしてそのことは同じ病状でリハビリに励む患者さん達の励みになっているらしい。これもまたスゴイことだ。
「燃える男」長嶋茂雄は、気力は現役と同じだったのだろう。現役時代に敬遠のボールを打ってヒットにしたこともある長島氏にとって、今回の松井氏のボールも彼にとっては打てないボールではなかったのかも知れない。改めて彼の偉大さを感じた瞬間であった。
しかし、通常空振りするはずの始球式のボールを、長島氏が打ちにきたのだからみんな驚いた。しかも後ろには何の防具も着けていない安倍首相。万が一にでもファールチップがそれて総理大臣に当たったら大変だ。最も肝が冷えたのはキャッチャー役の原監督だったにちがいない。
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